【財政破綻国家スリランカを歩く(第7回)】収奪なのか否か、スリランカの紅茶プランテーションを考える
『2023.11.11~12.28 47日間 総費用22万円(航空券8万7000円含む)』
プランテーションとしての紅茶農園
12月7日。スリランカ南部に広がる高原地帯は英国植民地時代から続く紅茶栽培の中心地である。キャンディーからヌワラ・エリア迄の高原地帯をおんぼろローカルバスに揺られて3時間半、バスの両側に延々と見える限り紅茶畑が広がる。営々と何世紀もの間お茶の木を育ててきた人々に思いを馳せる。 1948年の独立以前は英国人農園主(planter)の下で多数のスリランカ人労働者が働いて製品の紅茶を英国本土および世界に輸出していた。典型的な植民地支配におけるプランテーションだ。独立後には紅茶農園のかなりはスリランカの民族資本や有力農民に継承されたが経営形態はプランテーションと変わらないのだろうと想像した。 7年前にインドのダージリンの紅茶農園と製茶工場を見学(観光客用の見学コース)したことがある。紅茶畑が急峻な段々畑になっており茶摘み作業がかなりの重労働であるということくらいしか印象に残っていないが経営形態はスリランカ同様なのではないか。
どこまでも続く700ヘクタールの紅茶畑の支配人はどこに
12月9日。ヌワラ・エリアで長逗留したゲストハウスは、丘陵地帯の高台にあり見渡す限りの紅茶畑に囲まれていた。宿の近くのメインロード脇にP紅茶農園という案内板が出ていた。案内板によると診療所、支配人ハウスがあるらしい。とりあえず案内板の方向に向かって坂道を上りだした。途中にインターナショナル・スクールがあった。丘陵地帯の高台にはコロニアル様式の豪華な別荘や屋敷が点在している。そうした富裕層の子弟が通っているようだ。 歩いて20分ほどで丘の頂上に着いたが、相変わらず紅茶畑が広がるだけだ。ところどころに古びた石柱があり、P農園(P Estate)第6区(No.6 Division)XXXとある。約1時間ぶらぶら歩いたが、どこまでも第6区である。その広大な第6区を管理するため数ヘクタール毎にXXXと管理番号を振ってあるようだ。近くの作業中の男に診療所と支配人ハウスの所在地を聞くと「あの山の向こう」と東の方向を指さした。とても徒歩で行ける距離ではないと断念。ネットでチェックするとP紅茶農園の面積は700ヘクタールとあった。地平線の彼方までP紅茶農園なのだ。 どこかでP紅茶農園について聞いてみたいと考え、グーグルマップをチェックすると数キロ先のグレゴリー湖畔に面する高台に聳える豪壮な建物のあたりにP紅茶農園とあった。1時間近くかけて豪壮な建物に到着したが、19世紀創業の名門ホテルだった。グーグルマップを仔細に確認すると、高台から数百メートル先がP紅茶農園だ。紅茶畑の中に柵で囲われた大きな邸宅が見えた。数人の男が作業していたのでマネージャーはどこにいるか聞くと、十数キロ離れた場所という。事務所と製茶工場がある本部(headquarter)に出かけているらしい。大きな邸宅はP紅茶農園の取引先など賓客が逗留する迎賓館(VIP Guest House)とのこと。本部訪問は後日にして、丘を降りてグレゴリー湖畔を散策することにした。