【財政破綻国家スリランカを歩く(第7回)】収奪なのか否か、スリランカの紅茶プランテーションを考える
P紅茶農園のタミル人部落
グレゴリー湖畔を散策して迎賓館の対岸に位置する地域に来たが、相変わらずP紅茶農園の敷地内である。瀟洒な別荘やプチホテルが並ぶ地域を通り過ぎると雰囲気が一変。紅茶畑で覆われた丘陵の東斜面に150戸くらいのバラック小屋が雑然と建っていた。どの家も洗濯物を外に干しており子供たちが狭い路地で遊んでいた。少し上ってゆくと小さなヒンズーの祠があった。さらに行くと壁に絵が描かれた建物があった。 小さな男の子を抱いて女の子の手を引いた若い女性と出会った。彼女が誰何(すいか)するように何か用ですか? と聞いてきたので「P紅茶農園に興味があるので湖の対岸から歩いてきました」と答えると案内してくれるという。16歳の少女Bさんは近くの家に住んでおり幼い子供たちは弟妹とのこと。スリランカでは早婚で子供を産むので彼女も結婚しているのかと思ったが、筆者の誤解であった。彼女自身は12年生で来年全国統一高校入学資格試験(Oレベル試験)を受験する予定と自己紹介した。注)Bさんは本編第5回にて紹介した『刻苦勉励で運命を切り開く少女』である。 この部落は19世紀末から20世紀初頭に、P紅茶農園で働くためにインドから移住してきた人々が拓いたものだという。いわゆるヒンズー教徒タミル人であり、現在でも部落の住人の大半はP紅茶農園で働いている。労働者不足を補うために英国人植民者がインドから連れてきた労働者の子孫なのだ。スリランカ南部にはそうした歴史的背景を持つタミル人が多いことは、キャンディーでも聞いた。 Bさんに案内されて絵の描かれた建物に入った。ここは昼間茶摘み作業に出かけている女性の子供たちを預かる託児所(nursery)とのこと。P紅茶農園が建てて運営費用も農園が出しているという。8人くらいの幼児がおり1人の女性が面倒を見ていた。 Bさんによると農園の診療所は薬代も含めて完全に無料なので部落の人間はよほどの重病でない限り農園の診療所に行くという。P紅茶農園の本部近くにある公立学校も元々はP紅茶農園が労働者の子供のために90年くらい前に創設した小学校だったとのこと。