元ヤンキース・松井の引退式に異議あり?
1Aのチームで打撃投手を務め、久しぶりに表舞台に出てきた松井秀喜だが、ヤンキースは、彼のボブルヘッド人形が配られる7月28日に合わせて1日契約を交わす予定で、その試合前には引退セレモニーが行なわれることになっている。1日契約といっても、もちろん実際にプレイするわけではなく、形式的なもの。発案したのはヤンキースで、2008年に喜劇俳優のビリー・クリスタルと契約を交わしたのが最初。以降、キャリア終盤は他チームでプレイしたものの、長くチームに貢献した選手に引退の花道を用意するための手段として、今やNFLなどでも多く見られる契約形態だ。 ここ最近では、レッドソックスでデビューし、新人王の他、2年連続で首位打者を獲得したノーマー・ガルシアパーラ、移籍するまでロイヤルズで17シーズンを過ごしたマイク・スウィーニーが、それぞれレッドソックス、ロイヤルズと1日契約を交わし、正式に引退している。 ガルシアパーラやスウィーニーと比べると、松井氏のヤンキースでの実績、在籍年数は物足りないものに見えるが、ニュージャージ州にある「ザ・レコード」紙でヤンキースの番記者を務め、休みの日には歌手としてレストランなどの舞台に立つピート・カルデラ記者は言った。 「いや、彼はそれだけのインパクトを残した。2000年代では、紛れもなくヤンキースを支えた一人だ。彼に敬意を表する意味ではふさわしい」 「ニューヨーク・デイリーニュース」紙のアンソニー・マッキャロン記者も、「その通りだ」と肯定している。 「彼はヤンキースの一時代を生き、その中で輝いた一人だ。逆に考えれば、あれだけの短期間で、よくあそこまでの存在感を築いたと言える」 他の記者らに聞いても、異を唱える人はいない。が、その一方でこんな声も聞いた。 「バーニー・ウィリアムスが先じゃなくていいのか?」 ウィリアムスは、1985年にヤンキースと契約し、1991年に昇格すると、2006年までヤンキースの主力として活躍。ヤンキースがワールドシリーズを制した1996年、1998年、1999年、2000年の主力メンバーの一人で、チームに対する貢献度に関して言えば、松井氏の比ではない。 イチローでさえ、ヤンキースに移籍したとき、ウィリアムスの背番号「51」をつけるのを躊躇い、「31」を選んだほど。ところがまだ、ヤンキースは彼に対して引退セレモニーの類いを一切行なっていないのである。 よって、松井氏と1日契約を交わすことに異論はなくとも、ヤンキースのウィリアムスに対する扱いに米記者らは首を傾げる。 「ウィリアムスには別の機会を設けるつもりなのか、それとも彼とチームの間には何かしこりでもあるのか?」 後者であるという話は噂ですら耳にしたことがない。むしろ逆で、イチローが移籍した時、ヤンキースが、「51番は遠慮してくれ」と言ったのでは、という話さえある。 ただ、正式発表の前、ブライアン・キャッシュマンGM(ゼネラルマネージャー)に話を聞いたときも歯切れが悪かった。その不毛なやり取りを前出の2人の記者にすると、「上の方で、ウィリアムスを巡って綱引きがあったのではないか」と推測した。 「松井を上回るような、彼に対する何らかの配慮が検討されていたのだろう」 それは何か。 カルデラ記者に聞くと、言った。 「彼の51番の背番号を永久欠番にするのではないか」 確かに考えられないことではないが、ヤンキースには永久欠番が多すぎるとの批判がある。そのことを指摘すれば、「その通りだ」と言いながらも、彼は続けた。「松井の55番はすでに、他の選手がつけているが、51番は誰もいない。そういうことだと思う」。 駆け引きの着地点としては妥当なところだろう。誰も傷つかない。両選手の面子も立つのだから。 さて、バーニーより先に行われる引退式に異論も出ているが、7月28日、“ヤンキースで引退する”松井氏が、始球式のマウンドに上がる。そのとき、受けるのは誰か。デレック・ジーターかイチローか。ここでもヤンキースがどんな計らいを見せるのか注目だ。 (文責・丹羽政善/米国在住スポーツライター)