出さなきゃよかった…。ミラン退団で化けた元アカデミー選手(2)早すぎる「死」。3部からイタリア代表に登り詰めた男
国内リーグや欧州カップ戦で優勝経験のあるミランは、言わずと知れた名門クラブだ。これまでの歴史の中で世界的なスター選手を数多く獲得してきた一方で、アカデミーでは埋もれてしまい、ミランを去った後に才能を開花させたケースもいくつか存在する。今回は様々な理由でミランを離れ、後に覚醒したアカデミー出身選手を紹介する。※成績は『transfermarkt』を参照
DF:ダヴィデ・アストーリ(元イタリア代表) 生年月日:1987年1月7日(2018年3月4日:31歳没) 現所属クラブ:なし ミラン在籍期間:2001年~2008年 カリアリやローマなどでプレーし、フィオレンティーナ時代にはキャプテンも務めたダヴィデ・アストーリ。2018年に悲劇的な死を遂げた左利きセンターバック(CB)は、かつてミランのアカデミーでプロとして大成することを夢見ていた。 イタリア・ロンバルディア州サン・ジョヴァンニ・ビアンコ出身のアストーリは、2001年に「ロッソネロ」(イタリア語で「赤と黒」の意)の門を叩いた。だが、競争の激しいミランのアカデミーではなかなか出場機会を掴めず、実際にプロキャリアをスタートさせたのはセリエC1(イタリア3部リーグ)のピッツィゲットーネだった。 アストーリが存在感を発揮するようになったのは、2008年に加入したカリアリ時代だ。 フェデリコ・マルケッティやミケーレ・カニーニらと共に強力な最終ラインを形成すると、2011年には加入4年目にしてカリアリがミランから保有権を買い取ったことで契約が完全移籍に移行。ローマとフィオレンティーナへの期限付き移籍を挟みながらも、2016年までサルデーニャの古豪クラブに在籍した。 2018年3月4日、世界中のサッカーファンに衝撃が走った。ウディネーゼとの試合のために宿泊していた遠征先ウーディネのホテルで、就寝中のアストーリが心臓発作によって急死したのだ。 古巣のミランは、訃報の直後にクラブ公式サイトを更新。「フットボールへの愛情を持った少年は、我々の下でフットボーラーへと成長した。ミランはダヴィデ・アストーリの悲劇の死で大きなショックを受けている。本当に大きな悲しみだ」と、偉大な選手の死を悼んだ。 アストーリが生前に示してきたキャプテンシーやチームへの献身性は、これからも多くの人の胸に残っていくことだろう。
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