《連載:叫び 茨城・いじめ現場から》(3)癒えない心(下) 失われた青春の機会 周囲へ相談、効果なく
「なぜいじめられた方が学校に行けなくて、いじめた方が楽しく過ごせているんだろう」 高校時代にいじめを受けた道子さん=仮名=は、卒業から4年余りが過ぎた現在も悔しさが消えない。 2018年10月。茨城県立高2年(当時)、校舎2階から飛び降りた。一命は取り留めたものの、後遺症は残った。 街中で同級生を見かけると、今でも頭が真っ白になる。「友人と修学旅行を楽しみ、卒業式では一緒に別れを惜しみたかった」。誰もが経験してきた青春の記憶はなく、苦い思い出は今も心から離れない。 ▽見た目「いじり」 いじめが始まったのは入学直後。「デブ」「きも」。発端は見た目をからかう「いじり」だった。 その1年後。身体測定で、気にしていた体重測定の結果を1人の女子生徒にのぞき見られた。 教員に苦痛を訴えると、聞き取り調査は行われたが、相手生徒は「見ていない」の一点張り。その後、学年主任を交えた話し合いで、2人は「相互不干渉」の約束を交わした。 その数日後、下校しようと靴を取り出すと、中にきらりと光る物を見つけた。カッターナイフの刃だった。交流サイト(SNS)上には、髪形などをやゆする「死んだやどかり」などの書き込み。約束前に比べ、いじめはより悪質に、陰湿になっていった。 同年7月、SNS上での誹謗(ひぼう)中傷を写真に保存し、両親とともにいじめ被害を訴えた。学校側は、道子さんの心理的苦痛を認め、いじめと判断したという。 ▽「加害者の味方」 だが、その後も状況は悪化。保護者や教員への相談は「チクリ」として責められ、教室の机には落書きされたプリントも入れられた。うつむき悲しむ姿を「他の生徒たちは笑って見ていた」。 県教育委員会が18年に設置した第三者委員会の報告書によると、学校側は相手生徒らに聞き取りや指導を繰り返したが、いじめを認めた生徒は一人もいなかったという。 相互不干渉を約束したはずの生徒からも、いつしか声をかけられるようになった。生徒を避けようとすると、教員から「普通にやりとりできるように」とたしなめられた。「先生はなぜ加害者の味方なんだろう?」。誰にも頼れず、心が次第に疲弊していった。 唯一気を許せたのは、別のクラスでいじめ被害に遭っていた同級生1人だけ。それぞれが孤立を深めながらも2人で慰め合い、何とか学校生活を送っていた。 ▽校舎から飛び降り 互いのクラスで気を許せる相手がおらず、教員にも頼れなかった道子さん。自死をほのめかす2人の会話を偶然耳にした母親が県教委に訴え、県教委も学校に対し早急な対応を求めたが、その翌日、道子さんは校舎2階から飛び降りた。 学校では、翌日に迫った文化祭の準備が校内各所で進み、教員や生徒たちが忙しく走り回っていた。
茨城新聞社