元ゼロ戦パイロット・原田要さん「戦争の罪悪で世界一、非人道的な人間に」
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私ほど人の命をあやめた人間はいない――。ゼロ戦の元エースパイロットで戦争反対を訴え続けている原田要さんは、14日に長野市内で開かれた講演会でこう告白した。「お国のために」と命を投げ出す覚悟で海軍に入ったが、気がついたら「世界一、非人道的な人間になってしまった」と悔いる。折しも国会で安保関連法制の審議が熱を帯びる中、集まった300人の市民を前に、「戦争という苦しいことがもうない世の中に」と語りかけた。現在98歳と高齢のため、今回が「最後の講演」になるという。 【写真】「相手を早くあやめないとやられるのが戦争」元ゼロ戦パイロットが平和訴え ◇ 原田要さんは2016年5月3日未明、長野市の自宅で死去した。99歳だった。信濃毎日新聞は、原田さんの8月の100歳の誕生日の前祝いに、この日長野を訪れることになっていた日米の元軍人らが訃報を知って言葉を失い、原田さん宅に駆け付けたと伝えた。(2016年5月4日更新)
<原田要さんの講演要旨>
8月で99歳になる老兵、原田要です。戦闘機の実戦の体験者ですが、70年も前のことで記憶も薄れがちです。 17歳のときに一生をお国のために海軍の一兵卒として使ってもらおうと考えました。それから12年余、いろいろなことがありましたが、私は世界一、非人道的な人間になってしまったのです。その間約10年の航空生活を通じ8000時間余の飛行時間、その私ほど人の命をあやめた人間はいないのです。 結局は戦争という罪悪のために、こうしたみじめな人間が生まれてくるのです。だから戦争をなくしてほしいと感じるわけです。もうだめだと思ったことが4回ありました。それを皆さんに伝えて、こうした苦しいことがもうない世の中になるようにと最後のお願いにあがりました。 昭和11年にパイロットになり、さっそく中国の南京陥落に関係する作戦で戦闘機に乗りました、ところが中国船に交じっていた米英の船舶を攻撃したことが国際問題になり、下士官にまで及ぶ処分が行われて、私も内地に戻って操縦の指導に当たっていました。 そのうち日米の関係が悪化し昭和16年の秋、海軍の大艦隊はひそかに移動を開始。北に向かうのでいぶかしく思っていましたが数日後の朝、気がつくと周りが雪に覆われた湾に入っていました。エトロフ島でした。赤城、加賀、蒼龍、飛龍、瑞鶴、翔鶴の航空母艦、潜水艦などの大艦隊が集結したのです。