坂本冬美の『モゴモゴ交友録』加藤登紀子さん(80)ーー “生きることはアップデートすること” を実践されている芯の強い憧れの大先輩
自分がいいと思ったことは、人からどう見られようと、どう思われようと、どう言われようとかまわない。自分の信じた道を、思うがままに生きていくーー。 【画像あり】坂本冬美をもっと見る わたしだって、そういう生き方に憧れます。そうできたら、どんなにいいだろうかと思います。 だけど……できない。やる勇気がない。今いる場所から転げ落ちたらどうしようとか、賭けのようなことをして、もしダメだったらそれまでの努力がゼロになってしまう……。そう思うと、気持ちが萎縮してしまいます。 それでも怯むことなく、勇気を持って一歩を踏み出し、自分を信じてこれまで歩き続けてこられたのが、シンガー・ソングライターであり、役者であり、母親でもある加藤登紀子さんです。加藤さんの公式プロフィルを見ると、それだけで口はあんぐり、目は真ん丸になります。さぁ、準備はいいですか!? お生まれになったのは、1943年満洲国ハルビン。東京大学在学中に、第2回日本アマチュアシャンソンコンクールで優勝し、1965年に歌手デビュー。『赤い風船』で、日本レコード大賞新人賞(1966年)、『ひとり寝の子守唄』(1969年)、ミリオンセラーとなった『知床旅情』(1971年)で、日本レコード大賞歌唱賞を受賞されています。 この間、加藤さんご自身のなかではさまざまな葛藤があったと思いますが、経歴だけを見ると順風満帆そのものです。 ところがです。1972年に “運命の人” 、学生運動で実刑判決を受けていた藤本敏夫さんと獄中結婚。娘さんを出産し、母親になっていらっしゃるんです。信じられますか!? 憧れはありますが、わたしにはとても無理です。 さらにさらに1975年に、現在歌手として活動されている次女のYaeさんを、1980年に三女を出産。ご主人の藤本さんと一緒に農的な暮らしを推進する「鴨川自然王国」を設立する一方で、映画『居酒屋兆治』(1983年)で高倉健さんの妻を、スタジオジブリのアニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としてマダム・ジーナを演じるなど、その才能はとどまるところを知りません。 加藤さんご自身は「見かけによらず衝動的で、軽はずみで迷いやすくて、行き当たりばったりの人生を送ってきました」と苦笑いを浮かべていらっしゃいましたが、 “何をおっしゃるウサギさん” です。 世界各地でコンサートをおこない、1992年にはフランス政府からシュバリエ勲章を受賞。『百万本のバラ』の日本語作詞、中森明菜さんの『難破船』の作詞・作曲を担当。最近は、日本最大級のフェス『FUJI ROCK FESTIVAL』に毎年出演して若手ミュージシャンとの交流を深め、加藤さんの持論 “生きることはアップデートすること” を実践されています。 こんな素敵な大先輩、加藤さんとのご縁が交わったのは、2001年にリリースしたアルバム『冬美ルネッサンス』の一曲、加藤さんが曲を書いてくださった『雪の花』でした。 今年6月、加藤さんのYouTubeチャンネルに出演させていただいたときに伺った話ですが、最初はご自身で歌う予定だったそうです。でも歌詞を見て、「これはわたしじゃない。そうだ! 冬美ちゃんはどうかしら」と、わたしの顔を思い浮かべ、メロディラインをわたしに寄せて書いてくださったというのです。 もう恐れ多くて、どうお礼を申し上げていいのか、ただただ恐縮するばかりです。 いつお会いしても、気さくでおしゃれで、広い心で包み込んでくださる加藤さん。とても加藤さんと同じ人生という道を歩くことはできませんが、せめて歌手としては、必死に後を追いかけていきたいと思います。 さかもとふゆみ 1967 年3月30日生まれ 和歌山県出身『祝い酒』『夜桜お七』『また君に恋してる』『ブッダのように私は死んだ』など幅広いジャンルの代表曲を持つ。 写真・中村 功 取材&文・工藤 晋
週刊FLASH 2024年10月8日号