日ハム清宮は「夢先生」として子供達に何を語ったのか?「ホームランがなくなれば僕じゃない」
2017年のドラフト会議で1995年の福留孝介に並ぶ、高校生では最多となる7球団が1位指名で競合。ドラフト制度導入後では歴代単独トップとなる、デビューからの連続試合安打を7に伸ばした昨シーズンと比べれば、不慮のけががあったとはいえ、大きなインパクトを残せなかった。 しかも、清宮を抽選で逃した東京ヤクルトスワローズが外れ1位指名で引き当てた、同世代の村上宗隆内野手(19)が大ブレーク。公式戦全143試合に出場し、ともにセ・リーグ3位となる36本塁打、96打点をマークして新人王にも輝いた。 村上の打率.231は規定打席に到達した30人のなかで最下位に沈み、184を数えた三振は断トツの1位だった。それでも、中西太がもっていた高卒2年目以内のシーズン最多本塁打の日本記録に並び、同打点のそれを更新した長打力は、荒削りな部分を補ってあまりある可能性を感じさせた。 今シーズンの長打率を比べれば、村上の.481に対して清宮は.340。特徴が消えかかっていると、自身も認めているのだろう。夢のひとつとして抱き続ける、メジャーリーガーになる目標は変わらないと位置づけながらも、自戒の念を込めたこんな言葉をつけ加えることも清宮は忘れなかった。 「そこ(MLB)には到底遠く及ばない成績で、土俵にも立てる存在でもないので。まずは来シーズン、ホームランをどんどん打って活躍できれば」 真価を問われる3年目へ。誓いを新たにするうえでも、未来のある子どもたちに持論を伝えられた時間は貴重だった。夢を見つけ出す方法として、清宮は【1】自分の長所を見つけて磨きあげる【2】人とは違う存在になる――をあげながら、自分自身の現在地をこう表現している。 「いまも自分の長所はホームランだと思っているし、もちろん磨きあげています。ホームランがなくなってしまえば清宮幸太郎じゃない、というくらいに思っています」
よく言われる「2年目のジンクス」にはね返された、と言ってもいい今シーズンは、最後まで迷いを解消できなかった。自分のスイングができたのは早いカウントだけで、インコースを揺さぶられた末に追い込まれれば、否が応でも中途半端なスイングになってしまった。 このオフにはチームOBの小笠原道大・前中日ドラゴンズ二軍監督が、一軍ヘッドコーチ兼打撃コーチとして14年ぶりに復帰した。通算2120安打を放ち、日本ハム時代に首位打者を2度、本塁打王と打点王を1度ずつ獲得した左のスラッガーは、対応力やカウントに応じた割り切り方を学ぶうえで、伸び悩み気味の清宮にとって心強い存在になるはずだ。 「何回かお話はさせていただきました。あれだけの成績を残された方ですし、(自分と)同じ左打者でもあるので。自分自身がどのように変わっていくのか、という期待はあります」 2月1日にスタートする沖縄・名護キャンプで、小笠原コーチから受ける指導を心待ちにしている清宮は、授業の最後に子どもたちへこんな言葉を贈っている。 「夢を言うのはちょっと恥ずかしいとか、あまり周囲に言いたくないという気持ちがあると思うけど、どんどん言った方がいい。その方が絶対に夢をかなえやすいんです」 中長期的な夢がMLB挑戦ならば、短期的なそれは来夏に迫った東京五輪に臨む稲葉ジャパン入りとなる。現時点では荒唐無稽に映るかもしれないが、ポジティブシンキングをフル稼働させ、ほんのわずかな可能性がある限りは、自分自身を信じる姿勢を貫き通す。 「自分から子どもたちに言うことで、再認識できることがあるというか。思っているだけでなく言葉にして伝えることで、より深く考えられるようになった。この機会を得られて本当によかった」 自分自身の原点を見つめ直せた、かけがえのない時間となったことは、清宮が最後まで浮かべた無邪気な笑顔が物語っている。心の充電を終えた清宮はキャンプ初日からアピールできるように、右ひじのリハビリを進めながら、患部に負荷をかけないメニューで身体作りを進めていく。 (文責・藤江直人/スポーツライター)