『忍びの家』海外ヒットの理由は”Ninja”にあり? 日米共作で生まれた新しい忍者像
賀来賢人が主演・共同エグゼクティブプロデューサー・原案を務めたNetflixシリーズ『忍びの家 House of Ninjas』が、Netflixの非英語TVシリーズランキングで1位を獲得するなど、海外でも話題を呼んでいる。 【写真】鍛え上げられた“極アツの胸板”を披露する賀来賢人 このヒットの要因は、なんといっても題材が「忍者」であることが大きいだろう。忍者は今や、「Ninja」としてグローバルに通用する単語であり、本家の日本で制作したという点が海外のオーディエンスにとって魅力となっているのは間違いない。 しかし、どうして忍者が「Ninja」として世界中に浸透しているのか、その歴史をきちんと知らない人も多いかもしれない。筆者は2000年代にLAに5年間暮らしていたことがあるが、「Ninja」という単語は日常的に耳にしていた。そして、その単語が意味するものは、もはや日本語の「忍者」とは異なる概念を持っていたように思う。 端的に言うと、「Ninja」は世界のサブカルシーンにおける共有財産のようなものであり、オリジナルの意味から独り歩きしてそのイメージが拡張されている。その歴史の積み重ねがあったからこそ『忍びの家』は大きな評判になっていると筆者は思う。 もちろん、制作者たちの努力と研鑽は無視すべきではないが、「Ninja」の受容の歴史を抑えておくことも重要だ。ここでは、『忍びの家』グローバル市場での成功の背景要因となった「Ninja」概念について語ろうと思う。 ●Ninjaがヌンチャクを振り回した日 忍者がNinjaとなって、海外に広く知られるようになったのは、1980年代からだ。そのきっかけを作ったのは、ハリウッドで活躍した日本人俳優ショー・コスギである。ハリウッドでは当時、ブルース・リーの映画の大ヒットを受けアジアブームが起きていた。その流れで様々な映画が企画されたが、その中の一つに『燃えよNINJA』(1981年)があった。 コスギは当時、売れない役者でスタントマンとしてこの映画に参加することになったのだが、主演俳優がクビにされ、急遽フランコ・ネロが主演となり、コスギも敵役のハセガワ役に昇格することになったのだ。 コスギはハセガワ役のみならず、主役フランコ・ネロのスタントもこなした。忍者装束を着てしまえば中身は誰だかわからないので出来たことだが、急遽主役になったネロは、忍者のことも東洋の武道や体術を知らないために代役が必要で、それにはコスギが最適だったのだ。 忍者のことを知らないのはネロだけではなく、スタッフたちも同じだった。コスギはスタッフが忍者用の武器などを用意していると思っていたが、スタッフたちはロケ先のフィリピンで手に入るだろうというぐらいの感覚でいたそうで、そこで仕方なくコスギが訓練用に持参していたヌンチャクやトンファーを使うことになったのだとか。そこからヌンチャクを振り回すNinja像が誕生したのだと、筆者のインタビューで語ってくれた。(※1) ●Ninjaとは「すごい人」という意味になっている そんな、結構いい加減な作りの『燃えよニンジャ』だが、これが大ヒットしてしまい、しかもハセガワは主役のネロを食ってしまう鮮烈な印象を残した。ここから欧米社会に奇妙なNinja像が拡散してゆき、『ミュータント・ニンジャ・タートルズ』や『G.I.ジョー』に出てくるスネークアイズなどサブカルチャーの世界で多大な影響を与えるものとなった。 なにゆえ、Ninjaはこれだけ広く欧米人の心を捉えたのかと、筆者は上記で紹介したインタビューで聞いた。コスギいわく、「全身黒装束で見えるのが目だけなのが印象的で、摩訶不思議な忍術とミステリアスな存在感が神秘的に感じられたのでは」と語っていた。 また、日本で忍者といえば影の暗殺者のようなダークなイメージだったが、コスギはアメリカの観客向けにそれをスーパーヒーローのイメージに変えていったのだという。『007』にインスパイアされて秘密道具のような武器を開発して、ミステリアスでクールな武器を使いこなすヒーローというイメージを作り上げたのだ。 そのようなスーパーヒーロー的なイメージがどんどん拡散していった結果か、英語の辞書サイトには、Ninjaの意味として「特定の分野や活動の専門家または高度な技能を持つ人」と2番目の意味として書かれている。(※2)つまり、単純に「すごい人」という意味で使われる単語になっているのだ。 ●そもそも日本人の忍者イメージも事実と異なる 『忍びの家』で描かれる忍者像は、日本人にとっては馴染み深いものばかりだ。黒装束で背中に刀を背負い、屋根などの高いところを縦横無尽に駆け抜け、素早い動きで相手を圧倒、時にはバスの車体に貼り付くといった高い身体能力を発揮する。忍者もののお約束を踏襲していると思しき描写の数々だ。 また、人知れず活動し、普段はそのすごい能力を隠しているという設定も、忍者ものによく見られるものだ。その能力は屋根瓦を修理したり、自動販売機の補充をしたりといった仕事や日常の活動の中で発揮される(時には万引きにも利用される)という現代忍者ならではのコミカルな描写も見られる。しかし、いざという時には、その力を発揮して人知れず闇を葬る、という存在で、描写も設定も典型的な忍者ものと言える。 日本で作る忍者ドラマなのだから、日本人がよく知る“リアル”な忍者を描いているのだと思う人も、もしかしたらいるかもしれない。だが、念のために断っておくと、これら日本人にも馴染み深い忍者の特徴は、歴史上の実際の忍者とはあまり関係がない。本当の忍者は諜報活動任務のために、目立たないように市井の人々と同じ格好(農民や町民の格好)をしており、黒装束など着ていないし、手裏剣も投げない。日本人が抱く忍者のイメージは、ほとんどフィクションの作りごとであって、リアルではないのだ。(※3) つまり、日本人も忍者に対して、思いっきり間違ったイメージを抱いているのであって、海外のことをとやかく言えないのだ。 そういう間違って伝わったイメージを正確なものへと変えるために努力するのも大切だ。忍者ものではないが、真田広之はドラマ『SHOGUN 将軍』で、間違っていたハリウッドの日本描写を矯正すべく情熱を注いでいた。だが、正確な描写ばかりが重要なわけではないと筆者は思う。忍者およびNinjaというものは、文化の誤読や勘違いがいかに発展・伝番し、それが新たな潮流を生むのかについて、興味深いケースではないかと思う。 本物の忍者とは全く関係ないイメージを流布したことに対して、コスギ氏自身はどう感じているのかというと、「概念というものは、受け止められる場所や文化が異なれば変化しますし、ときに進化もするもので、こうした流れは止められるものではない」と語っていた。その通りだと思う。文化とは常に大なり小なり誤読を交えて伝わり、誤読もまた発展の肥やしになるものだ。 実際、『NARUTO -ナルト-』のような日本のマンガですら、そうした海外のNinja概念に影響されている面もあるだろう。一つの文化が海を渡り、帰ってきてさらなる発展をし、さらに海外で大人気となったという幸福な事例だ。 『忍びの家』もそうした逆輸入現象の産物と言えるだろう。すごい力を秘めた忍者が正体を隠して現代に生きている、しかも、自動販売機の補充(海外観光客は自動販売機が大好きなことを意識しているのだろうか)でその特異な力を発揮している。黒装束から覗く、賀来賢人の目力も強くていい。 この作品が海外でヒットしているのは、そういう文化の流れを踏まえると実に興味深いことだ。日米のスタッフが協力して作っている点も含めて、新たなNinja像を生みだし、Ninjaカルチャーのさらなる発展を促すことを期待したい。 参照 ※1. https://naruto-official.com/news/01_1488 ※2. https://www.dictionary.com/browse/ninja ※3. https://president.jp/articles/-/65904
杉本穂高