「学校に自分の居場所は無かった」不登校になったヴァイオリニスト「必死に転校先を調べる日々」から周囲の目が変わるまで
また、音楽高校には必ず実技テストがあるのですが、その成績がいいと「親が裏で口を効いたからだ」とありもしない噂をたくさん流され、放課後に同級生から呼び出されて問い詰められたりしたことも。学校に自分の居場所はなくなり、本当にツラくて転校したくて、家に帰ってくるなり他の学校を毎日毎日インターネットで必死に探していました。 ── いじめのことはご両親へ相談できましたか? 宮本さん:自分からは言えませんでした。毎朝、普通に学校へ行っているフリをして家を出るも、実際は学校へ着くとお腹が痛くなり早退。外で時間をつぶして学校が終わる時間に帰宅していたのですが、それが続いたことで学校から家に連絡があり、両親も知ることに。
そのとき父に「北海道の学校を調べたから、今の学校を辞めてそこに通わせてください」とお願いしたのですが、父から言われた言葉は「そんな弱い精神でいたら、音楽家としてやっていけないよ。負けてどうするんだ」でした。
■「勉強はしなくてもいい」と言われて ── そのときの宮本さんにその言葉はどのように響いたのでしょうか? 宮本さん:父自身も世界で認められるまでは海外で差別にあうなど、いろいろなことを乗り越えて道を切り開いた人なので、その言葉の説得力はすごく大きいものがありました。ただ、確かに父の言う通りだと思いつつも、毎日本当にツラいときには簡単に受け入れることではないですよね。
高校3年生のときにはほとんど学校へ通うこともできなくなりました。でも父から「学校に行きなさい」とは言われず、むしろ「勉強はしなくてもいい」と言われたんです。 ── お父さんが本当に伝えたかったことは何だったのでしょうか? 宮本さん:勉強はあまりできなくてもいいけれど、何かひとつ自分ができるものや情熱を傾けられるものに向き合い、そこで負けてほしくないということでした。情熱を傾けられるもの、それがいつか自分の人生の武器や支えになるのだから、それをちゃんと確立して自分の世界を作り上げてほしいと。それを作り上げられるのであれば勉強はそこまでできなくてもいいと。私にとってそれはヴァイオリンでした。