一体なんで!? Jリーグ、あまりに衝撃的な解任だった監督(6)ちょっと可哀想…。クラブの混乱の巻き込まれた不運な男
スポーツの世界では、結果が出なければ誰かが責任を取らなければならない。多くの場合、それは監督だ。カテゴリーごとに昇格・降格が発生するサッカー界においては特にシビアな決断が下されることがあり、成績不振や方向性の違いなど、監督交代の理由は様々だ。そこで今回は、サポーターやサッカーファンに衝撃を与えた監督解任を紹介する。
フアド・ムズロビッチ セレッソ大阪(2004シーズン) セレッソ大阪の2004シーズンは、とにかく慌しかった。まさに「激動」という表現が相応しい大荒れのシーズンだ。 2003年にJ1リーグ復帰を果たしたC大阪は、2003シーズン2ndステージで絶不調に陥り、10月に西村昭宏監督を解任。後任の塚田雄二の下でなんとか残留を果たした。 ここからが激動の2004シーズンの話だ。 2004シーズンから監督にはナドベザ・ペーターが就任予定だったが、持病によって来日が困難になり、まさかの白紙撤回に。これにより、急遽フアド・ムズロビッチが監督を任されることになった。 しかし、シーズン開幕前から予想外の事態が発生したチームは、落ち着いてリーグ開幕戦を迎えられるはずがないだろう。新監督のもとで準備に使うことができた時間があまりにも短い。 その予想通り、C大阪は準備不足が尾を引いて開幕から公式戦3試合未勝利という結果に終わり、ムズロビッチはわずか3試合(うちリーグ戦2試合)で電撃解任となった。 その後、ムズロビッチの後任としてアルベルト・ポボルが4月に監督就任。それでも結果を残せず、7月に小林伸二が新たに指揮官となった。 前シーズンから数えて、わずか1年で5人が監督に就任。結果的に小林監督の下でJ1残留をはたしたものの、C大阪にとって2004シーズンは泥沼でもがく苦しいシーズンとなった。