世界最軽量634gノート「ムサシのリベンジ」。復活を遂げたLIFEBOOK UHシリーズ【前編】
島根の出雲大社には1年に1度、全国の村々里々にお鎮りの神々が集う。人々の幸せの縁を結ぶ「神議(かみはかり)」と呼ばれる神々の会議が開催されるためだ。旧暦の10月が一般に「神無月」と呼ばれるのは八百万の神々が出雲大社に集い、一時的に各地の神が不在の状態になるからだ。その一方で、神々が集う出雲地方はこの時期を「神在月(かみありづき)」とする。 【この記事に関する別の画像を見る】 そして今年2024年の「神在月神議」は11月10日(土)夕方からの「神迎(かみむかえ)神事」で始まり、「神在祭」、「縁結大祭」、「龍蛇神講大祭」といった諸神事が続き、「神等去出(からさで)祭」で神々の出雲大社からの御出立をお送りし、賑やかだった神在月はエンディングとなる。 ■ あのムサシの量産が神在月にスタート 年に一度の「神在月」を迎える出雲大社だが、その週末には神議が始まるというタイミングで、あの「ムサシ」の量産が始まった。出雲大社のある島根県出雲市。神名火山といわれる仏経山のふもとの丘陵地帯にある島根富士通の工場ラインである。いわゆるひかわ神守の里がある地域だ。搭載液晶のクオリティ向上のためにスタートは多少遅れたものの量産は順調だ。 あのムサシとは言うまでもない。FCCLが世に問う世界最軽量634gの14型モバイルノートPC「LIFEBOOK WU5/J3」のことだ。この2024年10月に発表された翌月の11月に量産を開始、いよいよ新ムサシとして出荷が始まっている。 634をムサシと読む。FCCLの開発拠点が武蔵中原にあるのに加え、武蔵小杉、武蔵新城、武蔵溝ノ口などの駅名をもつ駅が南武線にあり、その沿線にFCCLや富士通関係の諸事業所が位置することにちなんだこだわりの異名だ。 世界最軽量のUHシリーズは2017年1月に発表された761gのUH75/B1からスタートした。 もともとこのシリーズは世界最軽量777gのモバイルノートPCとして、同年2月の発売がアナウンスされていた。ところが発売月になって769gのNEC PC LAVIE Hybrid ZEROが登場し、いきなり最軽量の座を奪われてしまうというハプニングが発生した。だが、最終的に量産開始後に完成実機の実績値をとって公式スペックを761gと更新、世界最軽量の座を奪い返したというエピソードがある。 ■ 14型への大型化で634gを断念した悔しさと葛藤 その後のUHシリーズは2017年10月にUH75/B3の748g、2018年11月にUH-X/C3で698gと順調に世界最軽量を自己更新し、ついに2020年10月にUH-X/E3で634gを記録する。この634gにしても、当初は638gだったスペックが4gの軽量化を果たしたことが発表会見の途中で明らかにされ、正式スペックが下方修正された。 このころからモバイルノートPCの画面サイズと縦横比にちょっとしたトレンドの変化が起こり始めた。モバイルノートPCは13.3型フルHD(16:9)が一般的だったのだが、それが14型WUXGA(16:10)へと遷移する。 当時のノートPCの画面縦横比は、16:9勢、16:10勢と3:2勢の三つ巴だったが、現在の市場を見ると、方向性としてはどうやら16:10に落ち着いたように見える。そんなトレンドの変化にUHシリーズも追随した。2023年1月のUH-X/H1で14型WUXGA(16:10)液晶を採用することになる。 これによって、フットプリントはわずかではあるが大きくなってしまった。特に、奥行きは12mmも増えた。画面が縦方向に拡張したのだから当たり前といえば当たり前だ。しかも、重量は689gと、先代機の634gより55gも増加してしまった。13.3型16:9縦横比の液晶が14型16:10になったことの副作用だ。 以前からずっとUHシリーズの開発を担当してきた河野晃伸氏(FCCLプロダクトマネジメント本部PM統括部技術部チーフマネージャー)は当時を振り返る。 「14型になっても開発時の指標として634gを守るつもりでした。でも14型化の影響は予想以上に大きく、どう計算しても理論的な限界値が666gとなってしまい、634gには遠く及ばないことが分かりました。世界最軽量を634のインパクトで実現できないくらいなら、もう製品化は見送ろうという話まで出てきていました」 最初のムサシの発売が2020年10月なので、すでに4年の月日が経過している。河野氏にとってムサシのリベンジは必須だった。だから河野氏は2023年6月8日の社内会議で「出せなければFCCLの存在意義がない」と宣言した。よほど限界値666gが悔しかったのだろう。 ■ 武蔵と出雲の連携プレイ FCCLの開発拠点であるR&Dセンターは南武線沿線の武蔵中原駅周辺にある。モノをさわらないと仕事ができないという業務の性格上、コロナ禍のときにも7割程度の出勤率を維持していた。当時は駅前ホテルの東横イン武蔵中原駅前のフロアを借り切ってしのいでいたという。同センターに属する従業員は約350名だ。 FCCLのPC事業全体を見る立場の小中陽介氏(プロダクトマネジメント本部長代理)によれば、今、FCCLの開発プロセスは設計開始から装置製造まで約10カ月を費やしているという。Intelなどキーデバイスベンダーの製品サイクルにあわせようとするとそうするのが合理的なのだそうだ。設計から評価までをR&Dセンターが担い、その先の工程は島根富士通の工場が引き受ける。そして装置の試作から認証の取得を経て量産に入る。 また、パーツ等個別の試験等が必要な場合はユーロフィンFQL社を頼る。同社の前身は富士通の品質保証本部と研究所の分析部門が統合されてできたクオリティラボで、その組織がユーロフィンFQL社として独立した。透過型電子顕微鏡などの多くの設備を持ち、ここまで自前で試験ができる会社はあまりないという。 FCCLではPCの回路のチームは全機種を1つのチームでこなし、FCCLの製品ごとのバリエーションが出ないようにしているそうだ。その先のフェイズとして、軽いとか、薄いといったこと、使い勝手のよしあしといったハードウェアに関することについては機構設計のチームが担う。独自の回路設計で不具合が出てしまっては元も子もないからだ。 堀西将之氏(同本部共通開発センター機構技術部長)にも話を聞いた。製品開発の過程では、その全体の流れの中で扱う部品点数は1,000点以上に達するという。 構造設計では基本構成を検討し、詳細形状の作り込みをする。部品のモデリングと重量管理をCAD上で実施し、部品同士の干渉をチェック、断面もチェックしながら、手に持ったときに構造部品の変形が許容範囲内かどうかといった要素を1つ1つチェックしていく。 製品開発の初期から製造のしやすさや組立の要素を考慮するDFM (Design for Manufacturing)では、組み立て順序確認や作業性の確認も必要だ。解析ソフトを使っての検証後に金型を作り、試作機を使った実機評価に移る。 曲げ解析、ヒートシンク接触解析、専用ソフトを使った落下解析、熱解析などの複雑解析など、多岐にわたった解析や評価が実施される。 工房と島根の両方に3Dプリンタを導入し、同時に同じパーツを作れるようになり、双方で同じプリンタを使ってすぐに確認できるようになったことで効率は向上しているので、オンラインコミュニケーションだけでも仕事に支障はないが、コロナ禍が明けてからは対面でのコミュニケーションが多くなってきているそうだ。 ■ ジグソーパズルの最後のピースが今ここにはまってムサシが復活 河野氏は今回のムサシをリベンジだという。シリーズとしていったんは634gを実現したのに、ディスプレイを13.3型から14型に大型化したとはいえ、重量が55gも多い689gになってしまうことが悔しくて仕方なかったと当時を振り返る。 理論値が666gというのも気に入らなかった。悪魔の数字として映画オーメンを連想させる666という数字は縁起も悪い。 当時は、競合機もなく、キーボード面カバーのマグネシウムリチウム合金をマグネシウム合金に変更することでコストも下げたことでその重量増もあった。こうした経緯の中で、2023年1月に689gのUHがデビューした。「14.0型ワイド液晶搭載ノートPCとして世界最軽量」は、河野氏にとってまさに屈辱そのものだった。 今回のリベンジには、どうしても4年という長い歳月が必要だった。せめて1年でも早くできなかったのかと聞くと、それは無理だったと河野氏。 今回のムサシ復活に貢献した軽量化三種の神器がある。 まず、専用設計にして23gを減量したLCD。そして特性が改善され、温度特性もよく、2セルでも使えるラミネート形のパウチ型バッテリ。容量も24%増量されて25Whが31Whになって出てきたのが2023年の終わり。しかも前より12gも軽い。LCDとバッテリで35gの減量を実現した。 そしてもう1つ、いったんはマグネシウム合金にしたキーボード面カバーをマグネシウムリチウム合金に戻した。これで追加の18gの減量を果たす。合計53gのダイエットが見えた。減じると636gになる。まだだ。 油断はできない。あくまでも理論値だ。実際、評価機最終フェーズで重量が1.25g足りず追加の軽量化施策(サブボードの新規起工など)が必要になった。そこでタッチパッドのクリックボタン用サブボードを専用に再設計し、0.85g、保護シートのサイズ見直し、そして2230サイズの1TB SSD、ヒートパイプの長さの短縮といった工夫をこらした。これでムサシは復活した。それが精一杯だったと河野氏は言う。 小中氏は8月29日の時点で640gだったら製品化は見送るつもりだったそうだ。だが、内部的な強い意志は感じていたし、河野氏にも論理的には絶対大丈夫という自信はあった。 「製品チームが最軽量機を何とか出したいと思っていても、それを実現できる根拠がなければ出せません。その根拠となるデータをリクエストしたのが9月2日です。サプライヤーにはいろいろな課題を出しました。 新しいバッテリが出てきたのは2023年末です。マザーガラスを溶剤につけて薄くするスリミングという技術で作った新しいIGZO液晶は今回ギリギリで間に合いました。2023年の1月の689gのあとになってから、いろんな要素が揃いました。そしてジグソーパズルのように最後のピースがピタリとはまり、ムサシが復活したのです」(小中氏)。 ■ シャープのIGZOディスプレイの貢献 今回の復活では、新ムサシ専用にガラス、導光板、レンズシートを新規開発したIGZOが23gの貢献をしている。実に55gのうち40%以上がIGZOパネルの減量で実現されている。 ミーティングにも同席することができた。シャープディスプレイテクノロジーの田口治輝氏(第二開発部課長)、中村迅氏(同主任技師)、多羅澤慶氏(営業部課長)らの話を聞けた。今回の完全なカスタム設計によるIGZOディスプレイはシャープのチャレンジでもある。FCCLから共同で開発したいと声をかけられたが、モジュールを新規技術に対応させなければ要求を満たせなかったからだ。 ポイントは2つある。1つはガラスの薄型化で軽量化のためには今よりも15%薄くしなければならない。シャープのPC向けパネルとしては最薄となる。それに単純に薄くするだけでは堅牢性で難がある。 バックライトでもレンズシートと拡散シートを1枚で兼ねるようにして薄型化した。輝度が落ちてしまうことでかえって消費電力が増えるというリスクもあるため、従来はやらなかった手法だ。だが、特殊なバックライトの設計でそれを回避した。 ムラに気づいたFCCL側の河野氏は、何度も亀山の現場にかけつけて確認することになる。導光板加工時のバリが犯人だった。バリが発生してムラ症状となってしまっていたのだ。 さらに、下辺光漏れも発生した。これも導光板が影響していた。薄型の輝度効率のいい導光板なのに想定していなかった症状が出ていたがなんとか解決した。当時は限界までやりきった。そして誰もあきらめなかったからこそ乗り越えられたと田口氏は言う。 そして、新規開発のIGZOディスプレイにようやく目処が付いたのは9月も下旬になってからだ。10月5日に予定されている発表を考えればギリギリのタイミングだ。 ■ コロナ禍がモバイルノートPCにもたらした影響 モバイルノートの画面を14型にしたのは、在宅勤務でも便利になるようにという意図があった。また、15.6型のユーザーがモバイルPCに切り替える動きもあった。すべてコロナ禍という状況のもとにあったからのトレンドだ。 コロナ禍がもたらした働き方スタイルの大きな変化の結果、14型の大画面モバイルノートはニッチではなくなった。家の中をモバイルする導線の中でも「軽さ」という要素は一瞬で伝わる価値だ。だがコロナ禍のころ、量販店のモバイルノートPC売り場には閑古鳥が鳴き、製品はほとんど手にとってもらえなかった。 今回のムサシは結果として軽くする上でコストがかかってしまい量販店モデルの発売は断念された。ウェブ限定のFMV Zeroモデルのみで、スペックも限定される。FMV Zeroはプリインストールソフトウェアとしてセキュリティとハードウェア維持に必要なものだけを厳選したシンプル構成で、リテラシーの高い層に受けている。 1TBという容量のM.2 SSDをType 2230にしたことで見かけのコストは跳ね上がるが8.03gのType 2280に対してアタッチメントパーツを含めて3.67gですむ。それだけでも4.36gの減量に貢献している。 予約開始初日の受注状況では、前のUHより売れているという嬉しいニュースも飛び込んできた。4商戦前から比べても成績はよく、今回の新製品中でもこの世界最軽量モデルがいちばん売れているとも。
PC Watch,山田 祥平