89年前の樺太の映像を元島民ら観覧、大豊漁のニシンに驚き 札幌の市民団体が上映会開く
ピーク時には40万人を超える日本人が暮らしていた北海道の北部に位置する樺太。昭和10年ごろの産業を様子を紹介する「樺太の産業」の上映会が23日、札幌市厚別区の厚別区民センターで開かれ、元島民など100人以上が55分にわたる映像を楽しみ、質疑応答も活発に行われた。 北海道の開拓時代の歴史などを研究する市民団体「北海道開拓倶楽部」が設立5周年を記念して企画した。主宰する海堂拓己さんは「樺太は北海道開拓の原点のひとつ。18世紀から20世紀にかけて北方から迫る脅威に対する第一次防衛線になっていた。その歴史を映像で見てほしい」などとあいさつした。 上映会では豊かだった当時の人々の暮らしをはじめ、開墾から始まった農業や林業、鉱業などの隆盛ぶりを紹介。基幹産業の一つだった漁業はニシン漁の様子が音声付きの映像で映し出され、作業員のひざ下を埋め尽くすほど大豊漁の様子を紹介する映像が流れると、会場からは驚きの声もあがった。 この後、全日本樺太研究会の高橋是清会長が当時の経済状況や産業事情について「資料を調べると、東京から樺太までの移動時間は約48時間。日本最北の地で樺太米の試験栽培も行われていた」などと解説。 さらに漁港があった大泊町の元島民から聞いた話として、「浜で水揚げ作業中の漁師にバケツを差し出すといっぱいにしてくれたそう。その人にとっては魚はもらうもので、(樺太の都市部の)豊原で魚が売られているのを見て驚いたと話していた」など水産資源が豊富だった当時のエピソードも紹介した。 会場からの質疑応答も活発で、終戦以降の樺太の状況を尋ねる質問に高橋会長は「樺太を訪問した人からは日本が残したものを食いつぶすような状況と聞いた。現地は日本からの投資を望んでいるが、実際に取取り引きをした日本の関係者からは『約束を守らないので商売は難しい』とも聞いた」などと話した。(坂本隆浩)