月を目指すも、失敗に終わったミッションの歴史
ソビエト連邦のルナE-1 No.1(1958年)
合衆国のように、ソビエト連邦も月に到達しようと必死でした。ルナ計画はそのためのミッションでしたが、こういった初期の探査の試みもまた、いくつもの失敗に終わりました。 このようなミッションの1つ目であるルナE-1 No.1(ルナ1958Aとも)は探査機を意図的に月面に衝突させる計画でしたが、約360kgのYe-1探査機が宇宙空間に到達することはありませんでした。NASAによると、1958年9月23日、ロケットは「ブースターの圧力変動に起因する共振によってロケットが破損され、打ち上げから92秒後に爆発した」とのこと。
NASAレインジャー計画の最初の6つのミッション(1961年~1964年)
初期のパイオニア計画は単に月の近くに到達する試みだったのに対し、1960年代のNASAのレインジャー計画は探査機が月を研究してから、意図的に月面に衝突するというものでした。レインジャー7号から9号までのミッションは成功しましたが、それまでの6つのミッションは違いました。以下、NASAによる説明です。 レインジャー1号はフロリダ州のケープカナベラル空軍基地から1961年8月23日に打ち上げられ、続いて同年の11月18日にはレインジャー2号が打ち上げられました。どちらもアジェナB型ロケットエンジンが再始動に失敗し、機体は両方とも少し経ってから大気圏に再突入しています。 レインジャー3号は1962年1月26日に打ち上げられましたが、故障のせいで軌道からそれ、月に到達できませんでした。レインジャー4号はその年の4月23日に完璧な打ち上げをなしとげたものの、機体はまったく機能していませんでした。プロジェクトチームは地震計を搭載した着陸カプセルが月の裏側の見えないところで衝突するのを追跡し、同機の通信と航行システムを検証。レインジャー5号は1962年10月18日に打ち上げられた後、月に到達できず、運用停止に。 レインジャー6号は1964年1月30日に打ち上げられ、非の打ち所がない航行は予定どおり月への衝突で終わっています。しかしテレビカメラシステムが航行中のアクシデントによって動作不能になっており、写真を撮影できませんでした。 レインジャー7号でようやくミッションは成功し、探査機は4300枚以上の写真を撮影してから「既知の海」に衝突したのです。