モデル・岩堀せり「コンプレックスの塊だった私にも年を重ねて変化が。常に肯定してくれる夫の言葉が一番の薬」
女性ファッション誌『ViVi』のモデルとしてデビューし、その後、『GLAMOROUS』『otona MUSE』など、幾多の雑誌の表紙を飾り、モデルのトップを走り続ける岩堀せりさん。かっこよくて唯一無二のそのスタイルは多くの女性の永遠の憧れ♡ また、夫であるGLAYのTAKUROさんとの結婚生活も20年目を迎え、家族4人でロサンゼルスに住み始めてはや6年。L.A.と東京のデュアルライフを満喫中です。 モデル岩堀せり・40代からの体型との向き合い方「やらない言い訳はとにかく上手(笑)!ストレスを感じない程度にできることからコツコツと」 今回のお題は「コンプレックス」。 “完璧な自分”を追い求め、昔はコンプレックスの塊だったと話すせりさん。そんな自分も素直に認め、かっこつけずにありのままを話してくれる彼女だからこそ、私達はその姿に惹かれ、憧れ、好きになる。そんなせりさんのコンプレックスとの向き合い方を伺います。
コンプレックスの塊だった過去。年を重ねて、いろいろ考えてきた末に思っていること
「私が普段もこの連載でも、かっこ悪い自分のことを包み隠さず正直に話すのは、コンプレックスを隠して自分を大きく見せようとかっこつけている自分が一番かっこ悪いと思うから。それは、私が長年あらゆるコンプレックスと向き合ってきたからこそ、たどり着いた答え。自分にコンプレックスがあるから、完璧で自信満々な人よりも悩んでいる人に共感する。もしかしたら他の人もそうなのでは?と思ったときに、私もかっこつけずにありのままを素直に話そうと思うようになりました。 私は、モデルを始める前の8歳ぐらいまでは、『世界で一番自分が可愛い』と思っていたような人間です(笑)。熊本で暮らしていたんですが、まあモテますし、運動ができるし、だからこそ人気もある。すべてにおいて自信があったんだと思います。振り返れば、実際には姉のほうが可愛かったなと思いますが、『みんなにモテるから私ってきっと可愛いよね』『運動できるしすごいよね』なんて、自分のことが大好きでした。 そんな私が、横浜に引っ越してすべてに自信を失くすことに……。田舎者が突然都会にやってきて経験する、いわゆる洗礼を受けたんです。私より足の速い人はたくさんいるし、可愛い人もたくさんいる。方言を話すからとからかわれ、それまで積み重ねてきた自信がことごとく崩されていく。横浜に引っ越してきたタイミングで、『テレビに映るこの子みたいになりたい!』と言ってオーディションを受け無事合格し、モデル人生も始まっていたのですが、その後のオーディションには見事に落ち続け、仕事でも自信を失くす日々。熊本時代の自信は何だったの? なぜあんなに自分のことを可愛いと思っていたんだろう? と、それまでの自分も否定し始めて……。 成長するにつれ、いろいろと客観視するようにもなり、『鼻は大きいし、肌も荒れているから、私の顔はすべてキライ。髪もくせ毛でイヤ。ちょっと太っててイヤ。毛深くてイヤ』とコンプレックスの嵐。表に出る仕事はしていましたが、自信を取り戻せるほどの仕事量もなかった。そして昔はあんなにモテていたのに都会の小学校や中学校では一切モテなくて、仕事でも私生活でも自信を取り戻す場がなかったんですよね。結果、小学校、中学校は地味な部活少女として過ごしていました。 あの頃は仕事の影響もあって、コンプレックスを強く抱いていたのだと思います。自分で望んでモデルの仕事をしているけど、どんなに頑張ってもオーディションに受からないから、常に自分を否定されているような気持ちになっていた。たまにエキストラの仕事がくることもありましたが、理想が高すぎて満足できない。でも、モデル事務所に所属しているっていうこと自体は、自信のない自分を満たす唯一の精神安定剤だから辞められない。悪循環ですよね。今は認められなくてもいつかは花開く日がくるかもしれない、とわずかな希望を持ちつつ、もがいていました」 <人に認められることで変化が……。夫の言葉も「別にいいや」と思わせてくれる> 「小さい頃のコンプレックスは、ViViの専属モデルになり少しだけ解消されました。他人に認められたことで乗り越えられた。もちろん、露出が増えると悪口も言われるようになるんですが、それで凹むことはなかったかな。 私、ViViモデル時代、よく2ちゃんねるの掲示板を見に行っていたんです。まあ、いろんな悪口をたーっくさん書かれていましたが、ぜんぜん気にならなかった。誰かに何かを言われて自信がなくなるのではなく、コンプレックスはあくまで自分がどう思うかが私にとっては大事で。なんなら、掲示板に私の話が多ければ多いほど楽しいし注目されているんだって思ってました(笑)。顔も名前も出さずに影で文句を言うような人間よりは私、全然いいじゃん!って思い、自分を保っていましたね。 ViViでのモデルの仕事で経験を積んで、だいぶコンプレックスは緩和されたし、客観的に見ていい仕事もたくさんいただき、表紙を何回も飾らせてもらいました。でも、すべてのコンプレックスがなくなることはなかったですし、正直、いまだにずっとコンプレックスはあります。 見た目でいうと、鼻の大きさは今でも気になります。髪ももっとサラサラになったらいいなと思う。だけど、この髪と長年過ごしてきて、くせ毛の扱い方もわかってきて、そこに関しては攻略法がわかってきた。肌についても、できることはすべてやってきた。なので長年のコンプレックスは解決法を見出して受け入れられるようにはなってきたので、少しは気持ちが楽にはなっているのですが、それでもなりたい理想が高い。なので、年を重ねた今でも見た目のコンプレックスが完全になくなることはないのかもしれません。 でも、そんなコンプレックス凌駕するくらい楽しい人生を歩んでいるから、まあそれでいいかなと思えるようにはなってきました。コンプレックスをなくすための努力よりも、楽しく生きるほうを優先したいので、頑張れる部分だけ頑張ればいいかなと思うように。そう考えるようになったのは、夫のTAKUROくんのおかげですね。 TAKUROくんはどんなときでも常に肯定してくれる。どんなに朝ボロボロの汚い顔をしていても、『かわいこちゃん』なんて言ってくれて、こんなひどい状態でそんなこと言って、逆に信用できないんだけど!?なんて思ったりもしています(笑)。いつもどんなときでも褒めてくれるから、私はできる範囲で今やれることをすればいいんだ。この人に、私の家族に好かれていればそれだけでいい、と思えるようになって気持ちが楽になったのが、一番大きいですね」