WAT'S GOIN' ON〔Vol. 6〕川淵三郎に噛みついた青森ワッツのゴッドファーザーの郷土愛
青森は特別
「もちろん、ジレンマはあるんですよ。強いチームのほうが人気は高まる。試合に勝てば、ブースターの皆さんも喜ぶ。じゃあ、当時のワッツの選手の3人分の年棒を、ひとりの人気選手にかけられるかというと、それも出来ない。選手の総数は減らせないからです。 そりゃあ、歴代のヘッドコーチの皆さんには大きなプレッシャーだったでしょう。『どうしても、あの選手が必要だ』と訴えても、社長の私が首を縦に振らない。いえ、私だって振りたいんだけれども、でも、その前に銀行マンとしての目が先にくる。縦に振ったら、チームを続けることができなくなってしまうんです」 SDGsの先駆けのようなチーム運営をおこなっていた下山を窮地に追い込んだのは、選手の年棒問題だけではなかった。bjリーグと同じように、Bリーグも「地域密着」をモットーに掲げていたが、その考え方もまた青森には馴染みにくいものだったという。 「Bリーグの『ホームタウン制』では、都道府県内の『ひとつの都市』を選び、そこで全試合の60%以上を行うことが求められました。じつは多くの県において、最大規模の経済圏は『県下にひとつしかない』ケースがほとんど。ですから、ホームタウンの選定はそれほど難しくありません。県下の、最大規模の経済圏の中で、もっともアクセスの良い都市に決めればいいからです」 しかし、青森の場合はそう簡単にはいかないのだという。 「青森県の人口は120万人弱。広大な面積に、決して多いとはいえない住民が散らばって暮らしています。そのため、県内には『最大規模』と呼べるサイズの経済圏が3つも存在するのです。八戸を中心にした経済圏、弘前を中心にした経済圏、そして青森を中心にした経済圏。 bjリーグでは、ホームの試合を開催する場所を自由に決められたため、私たちは『相手チームのブースターたちのアクセス』を念頭に置いて、試合会場を決めていました。たとえば、秋田ノーザンハピネッツとの試合は、弘前の体育館。1000人以上もハピネッツのブースターが来てくれて、大盛り上がりでした。福島ファイヤーボンズとの試合は八戸ですね。ワッツのブースターも、仙台での試合には300人、400人と出掛けて。地元の人が、地元のチームにお金を使うだけじゃなくて、外から来た人たちが地元でお金を使って、楽しむ。これこそが地域の活性化だと思うのです。 Bリーグの現在のチェアマンである島田慎二さんはかなり理解のあるかたですが、川淵さんは、青森の事情だったり、私たちだけじゃなくて、そもそも人口の少ない地域が強さだけではない価値を求めて『プロバスケットボールチームを持つ』という姿勢には、どうも否定的だったように感じます」 けれど最終的に、下山は青森ワッツのBリーグ参加を決断する。 「この状況だとbjリーグの存続は難しい。その結論が見えてきたときに、何度も解散を考えました。でも同時に、たくさんのブースターさんの顔や、スポンサーさんのことが頭をよぎってね。 この機会を逃したら、もう青森を本拠地にしたプロスポーツチームは生まれないかもしれない。『黒字で始まったワッツでも続けられなかったんだから、青森ではプロスポーツは無理だ』という悪しき前例として、青森の将来の芽を摘んでしまうのは絶対にいけないと考え直しました。それで、自分の胸のうちでルールを決めました」 青森スポーツクリエイションは、青森ワッツを将来にわたって保持し続けられる経営資本とビジョンを持つ「船長」と「次の船」が決まるまでのタグボートである。「船長」と「次の船」が見つかるまでは、とにかく沈まずに航海を続けることを使命とする――これが下山の決意だった。 〔WATS GOIN' ON Vol. 7〕につづく
VictorySportsNews編集部