箱根出場校それぞれの高校生スカウト戦略 強い留学生は「リスクが…」、他校と競合した時に掛ける言葉
40年以上指導をしていて5人もいない「うちに来て欲しい」と思った選手
――今の高校生に、箱根がすべてじゃないという話をして、すぐに理解できるものなのでしょうか。 「いや、ほとんど理解できないですね。ほとんどが箱根を走りたい。箱根に懸けている感じです。高校生のメインは箱根駅伝なんですよ。でも、私は箱根がすべてじゃないという考えですし、それを言わずしてうちに来て、『違うじゃん』って言われるのは嫌なので、事前にハッキリと言います。選手を取ればこっちのもんだと思う指導者もいますが、それは選手にとって不幸ですよ。うちには、私の考えを理解してもらったうえで、よく考えて決断してほしいので、何が何でもうちに来てほしいとは言わないです」 ――過去、それでも来てほしいと思った選手はいましたか。 「もう40年、指導者をしていますが、5人もいないですね。近い所でいえば、潰滝(大記・富士通)は、うちに来て欲しいと思いました。粗削りで大人しい子だったんですけど、この子は絶対に強くなると思って、何回も足を運びました。彼以外にも来てほしい選手はたくさんいましたし、何回も会いに行ったりしましたが、来てくれない子が多いですね」 中央学院大には、留学生がいない。新興勢力と言われる大学は、留学生という飛び道具をうまく使い、結果に繋げている。 ――中央学院大は留学生を入れることを考えたことがないのですか。 「私のポリシーとして獲らないと決めています。強い留学生を連れてくれば優勝を狙えるかもしれないですけど、大学に負担をかけることになりますし、いろんなリスクもあります。うちみたいな大学が長く箱根を戦えているのは、背伸びしない身の丈に合った運営をしているからだと思うんです。寮はありますけど、400mトラックはないですし、照明もありません。それでも来てくれる学生や高校の先生方の期待に応えられるように思ってここまでやってきました。もう40年もやっているので、今さらスタイルを変えようとは思わないですね」 チーム作りにおいては、スカウティングが最も重要になるが、同時にチーム作りにおいては、必要な要素が多々ある。 ――川崎監督は、チームビルディングにおいて何が不可欠だと思いますか。 「お互いの信頼性でしょうね。今の子は、個人主義で、自分さえ良ければいいやという考えの子が多いんです。練習中に『声を出していこう』と言っても、『なぜ声を出さないといけないんですか』と言ってくるので横のつながりを持たせるのが非常に難しい。寮も自分の部屋に閉じこもっている子が多いので、他の仲間と交わらない。自分の好きな仲間だけつるんで、派閥を作っています」 ――学生同士のつながりを持たせるために、何か取り組んでいますか。 「ひとつは、みんなにその人のいいところ、悪いところを書いてもらい、あとでそれを公開して、みんなが自分のことをどう思っているのか、どう見ているのかを見てみるというゲーム的なことをしています。あと、箱根予選会ではメンバーと戦略を自分で考え、一番支持された案を採用しようというと、みんな真剣に考えるんです。これはメンバーもメンバーじゃない選手も一緒に考えてもらいます。メンバーじゃない子はどうしてもモチベーションを欠いてしまうので、そういう子たちが本気になってチームのことを考えてくれるようなことをやらせています」 (第4回へ続く) ■川崎 勇二 / Yuji Kawasaki 1962年7月18日、広島市生まれ。報徳学園高(兵庫)で全国高校駅伝に出場するなど活躍し、順大では3年生だった1984年箱根駅伝に出場(7区区間9位)。卒業後の1985年に中央学院大の常勤助手になり、駅伝部コーチに。1992年に監督就任。1994年に箱根駅伝初出場を果たす。2003年からの18年連続を含め、今回で計24度目の出場。2015年から5年連続シード権を獲得し、最高成績は2008年の3位。現在は法学部教授として教鞭を執る。 佐藤 俊 1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)など大学駅伝をはじめとした陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。
佐藤 俊 / Shun Sato