「余命半年の宣告を受けた」元女子アナ&女優を経て…39歳で落語界に入門した「ママさん落語家」の壮絶人生
「32歳で出会うまで、落語は好きじゃなかったんです。寄席に行ったことさえ、一度もありませんでしたから」 【一覧】スタッフから人気の高い女子アナと「意外に評判の悪い人物」ランキング 39歳で落語界に入門し、2021年5月に二ツ目へ昇進した三遊亭あら馬さんは、かつて女子アナやタレントとして活動し、二人の娘の母親でもあるという、異色のキャリアを持つ落語家だ。 「噺家を1人も知らずに落語教室に通った」と豪語するあら馬さんが、なぜ落語の世界に飛び込むことになったのだろうか。
最初はリハビリ目的だった
「私は子どもの頃から、児童会長に生徒会長やら、人前に立つポジションは全部やってきたんです。お調子者で、目立つのが大好き。ブルドーザーのように押しが強いので、ついたあだ名は“女子プロレスラー”でした(笑) 将来は東京に出てアナウンサーか女優になるぞと決めていて、地元の鹿児島大学に進んでからタレント業を始めました」 上京後は、フリーアナウンサーとして『ぐるぐるナインティナイン』『進ぬ! 電波少年』などの番組に出演し、三宅裕司氏が主宰する劇団SETなどで女優としても活躍。しかし、27歳のときに、これ以上売れるのは難しいと芸能界に見切りをつけ結婚。二児をもうけた。 「母親になってからは、専業主婦として慎ましく暮らしていました。ところが、子どもの保護者会に参加したとき、周りのお母さんたちがスラスラとお話しされているのに、私だけがものすごく緊張してしまって。 人前に出る仕事ばかりしていたのに……おかしい、こんなの私じゃない! と(笑) それで知人から勧められて、32歳のときにリハビリとして落語教室に通うことにしました」
落語は「自由な表現」を叶えてくれる世界
初めて寄席の世界を知ったあら馬さんだったが、今や自ら「水を得た魚」だと話す。 「寄席では大体15分の持ち時間があり、他の演者の内容と被らないという決まりはありますが、その時の客層に合わせてネタを代えられたり、その場のハプニングを笑いに加えたり、ライブ感満載で変幻自在です。こんなに面白い自由な表現の世界があったのかと。 アナウンサーや役者時代に色々な縛りがあって窮屈さを感じていた私には、落語界はうってつけの場所でした」