<飛躍の春に>20センバツ・倉敷商 担当記者の総括 この経験でさらに強く /岡山
母校を誇りに思い、常に真摯(しんし)に野球に向き合う。1月下旬に出場が決まってから約1カ月半にわたって取材を重ね、「倉商野球」の神髄はそこにあると強く感じた。 【動画】センバツ出場校、秋季大会熱闘の軌跡 19年夏は、岡山大会決勝で同点の八回に失点して1点差で敗れ、甲子園に手が届かなかった。そこで「あと一歩」の怖さを知った分、梶山監督就任と同時に発足した新チームでは、勝利にこだわる姿勢が随所に見えた。20年2月7日の練習後、梶山監督は「今のままで本当に勝てるのか」と選手たちに問いかけた。センバツ出場決定から2週間が過ぎ、ちょうど心に緩みが出始めた頃。「甲子園に行けることに満足したら終わり。その先が目標じゃないのか」。監督の言葉を真っすぐな目で受け止めた選手たちは、翌日から練習中の声かけや行動のスピードが一変した。 浮かれず足元を見つめよう。そんな監督の思いを、60人の部員をまとめる原田将多主将(2年)が体現しているように見えた。練習後のミーティングでは、監督の前に主将が話す時間が設けられている。「いつもより声が出ていなかった」「センバツを前に学校全体が応援してくれている。恩返しできるよう、学校生活からきちんとしよう」。まるで第2の監督のようにチームを客観的に捉え、的確な発言でチームメートを引っ張っていた。 取材を進めると、原田主将の原動力は野球愛だと分かった。帰宅後も野球の技術を解説する動画や、甲子園のアルプス応援の動画をインターネットで見てイメージトレーニングにふけるといい、「一日中野球のことを考えている」。梶山監督からも「野球が好きなのが伝わってくる。全てにおいて信頼できるキャプテン」と太鼓判を押されていた。 1931年創部の伝統校。数々のOBの母校愛も特別だった。梶山監督や伊丹健部長(40)を始め、チームスタッフは全員OB。両親や兄弟がOBという選手も多く、女子マネジャーも、6人のうち5人は同校出身の兄の影響で入学したという。あらゆるOBが「倉商に入って良かった」と口をそろえ、3年間を特別な思い出として語ってくれた。 公立の商業高校であり、簿記などの検定に向けた勉強のために、私立の強豪校と比べれば練習時間は限られる。そんな中でも甲子園を目指して必死に取り組んだ日々をOBが語り継ぎ、それを見聞きした現役世代も同じように野球に向き合う。その循環こそが倉商野球部の伝統であり、強さを支えているのだと感じた。 2月下旬以降、大会開催が不安視される中でも選手たちの姿勢は変わらなかった。「中止になったとしても夏につながる」と、中止決定の直前まで全力で練習に励んでいた。それだけに、夢の舞台への道を不可抗力で断たれた悔しさ、無念さは察するに余りある。それでも、きっと彼らならこの経験を無駄にせず、夏にさらに強くなった姿を見せてくれる。今は、そう信じたい。【松室花実】