【高校サッカー県大会】「教員になって良かった」新潟明訓の坂本和也監督 “曲がり道”のサッカー人生、異色の教員が栄冠に涙
第103回全国高校サッカー選手権新潟県大会は11月10日、デンカビッグスワンで決勝が行われ、新潟明訓が9年ぶり7度目の優勝を飾り幕を閉じた。涙を流し、「生徒たちが本当によくやってくれた」と繰り返したのは、新潟明訓を指揮して5年目の坂本和也監督(39)だ。 9年ぶりの頂点に立った新潟明訓の選手ら 東京都出身。城西高(東京)から、当時開校して間もない、サッカー専門学校「JAPANサッカーカレッジ」への入学を決め、新潟にやってきた。 3年間必死にプロの夢を追ったが、かなわなかった。「毎日頑張ったけど、プロの壁があった」。それでも、卒業後もサッカーから離れられなかった。「サッカーが好きだから」。日中はスポーツショップでアルバイトをし、夜は社会人チーム「グランセナ新潟FC」の選手として練習。夕方はコーチとして小学生チームを指導した。 「教えるっていいな」。そんな気持ちがふつふつと湧いてきた2008年。田中健二前監督からの誘いもあり、新潟明訓のコーチに就任した。自身も夢を追いかけた「高校サッカー」の指導者の魅力に引かれていった。 教員になってサッカーを教えようと、保健体育の教員免許を取得するため、26歳で新潟医療福祉大学に入学。2年半の間、学生とコーチの2足のわらじを履いた。「学費も払っていたので、精神的にも、経済的にもきつかった」と当時を振り返る。午前は講義、午後はコーチ業、その後は大学の課題のリポートに取りかかった。「おっさん一人で水泳とか、陸上の授業を受けたりして。かなり経験値が上がった」と笑う。そんな生活も人生経験に加え、教員となった。 監督に就任して5年が経つ。2020、22年大会では決勝まで駒を進めたが、敗退した。今大会は「優勝できなかったら、身を引こうと思っていた」。それぐらいの覚悟を決めて臨んだ。準決勝では高校生年代トップレベル、プレミアリーグに参戦する帝京長岡を打ち破った。決勝戦でも磨き上げた堅守で1点を守り切り、3度目の正直を果たした。 試合後、応援席から響いたのは「坂本、坂本、男前!」の大声援。「このためにやってきた。教員になる決断をして良かった」。力強いガッツポーズで何度も応えてみせた。