100年前の初レコードは退屈な演奏だった? ジャズがジャズらしくなるまで
青木和富さんのジャズ・コラム第2夜をお届けします。2017年はジャズがレコード化されて100周年。100年前に録音されたジャズってどんな音、聴かせてくれるのでしょうか? 少しイメージと違う? 今回は初レコードとジャズがジャズらしくなっていく過程、そしてレコードがその後のジャズの発展に果たした役割などについて語っていただきましょう。※【連載】青木和富の「今夜はJAZZになれ!」は、毎週土曜日更新予定です。
ジャズを初めて録音したのはイタリア人、ニック・ラロッカ
盆踊りとか花火大会で、宣伝をかねて商店の名の入ったうちわが配られたりする。ノベルティといえば、普通、こうした無料で配られる特別仕様の記念品とか試供品といったもので、中には貴重だからとマニアの間で高価で取引されたりもする。本来ノベルティという言葉は、珍しいとか目新しいといったことを意味するが、他愛のない一過性の面白さに過ぎないといった否定的に使われたりもする。初期のジャズの一般的な印象は、まさにこのノベルティ・ミュージックとでも呼ぶべきものだったようだ。この他愛のない面白さは、徐々にカタチを作り、いつに間にか無視できない存在になる。人間の想像力の不思議さである。 1917年に初めてのジャズを録音したニック・ラロッカ(1889-1961)は、イタリア人だが、やはりニューオリンズの出身だ。ジャズは黒人というイメージがあるが、当時のニューオリンズには大まかに言って3つの世界があり、それぞれが盛んにバンド活動をしていた。「白人」、「黒人」、そして「クリオール」という混血の人々で、ジャズが様々な文化の混合と考えると、最後のクリオールは、そもそもその文化の混合体を体現している核心的な存在と言っていい。彼らは教養も高く、正式に楽器を学び、譜面を読み、書くことも出来た。実はニューオリンズの気位も高い特別な階級なのである。
ジャズの“即興”はどのようにして発展していったのか?
貧しい黒人たちは、広場などでバンド合戦を楽しんだりした。彼らは見よう見まねで楽器を操ったから、譜面などは関係ない。メロディーを流麗に奏でれば上手いというわけではなく、エネルギッシュに大音量でぶちかました方が合戦の勝者で喝采を浴びた。譜面にお構いなしだから、当然即興能力が自然に身につく。ジャズの本道はここにあると言えるだろう。クリオールは、高級売春宿の豪華なサロンでピアノを弾き、しっかりとした収入を得ていた。 ニック・ラロッカが録音した最初のジャズ演奏を今聴くと、即興演奏がないので気の抜けたジャズのようで面白みがない。ラロッカはダンス・バンドを組んで楽しんでいたような人なので、即興をしなかった、あるいはできなかったコルネット奏者だった。むしろ彼の関心は曲にあったようで、後に「タイガー・ラグ」という曲で有名になるが、自身の演奏よりもルイ・アームストロングやベニー・グッドマンらのたくさんのカバー演奏によってジャズの名曲として知られることになる。もっともこのメロディーは、すでにニューオリンズのミュージシャンにはよく知られたもので、ラロッカはそれを形よくまとめたに過ぎないとも言う。魑魅魍魎としたジャズの世界では、こんなことはよくあることで、ミュージシャンも笑って過ごすような話だ。 ジャズ史におけるラロッカの業績は、ほかに見るべきものはほとんどない。シンコペーションを使ったニューオリンズ風アンサンブルだけでは限界があった。ただ、ラロッカのバンド、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドは、ジャズという言葉をしっかり広めたことは確かだろう。もっとも、余談だが、最初のリリースは、JAZZではなくJASS、つまりジャス・バンドとレーベルに印刷されていた。濁音のズの語感が品がないので、ダークなイメージを払拭するためにこう呼ばれた時期があったのだ。だが、このバンド名も翌年にはジャズと変更されている。この新興音楽の周辺の落ち着かない状況が伝わってくるが、これはジャズに限らず初期のポピュラー音楽の混乱した雰囲気でもあろう。