さらば、宮城ふるさとプラザ 最終日の1日ドキュメント
宮城県アンテナショップ「宮城ふるさとプラザ」(東京・東池袋)が19年5カ月の歴史に幕を下ろした15日、プラザは多くの来店者でにぎわった。ふるさとを懐かしむ場として、東日本大震災の復興支援を機に宮城の応援団となった首都圏在住者が集う場として、親しまれ続けた。それぞれの思いが交錯した最後の1日を追った。(編集部政治班) 【写真特集】宮城ふるさとプラザ最終日ドキュメント https://kahoku.news/articles/20241215khn000008.html ■10:50 路地に39人の列 開店10分前の午前10時50分、店の西側にある路地で39人の列ができていた。 先頭にいた東京都豊島区の無職女性(87)は午前10時15分に来た。週2回通う常連。昨年11月に亡くなった夫が好きだった魚のすり身と定義山の油揚げを買いに来た。「閉店すると聞いた時は、ショックで夜も眠れなかった」と明かした。 開店と同時に客でにぎわい、2階の牛タンレストランにも行列ができた。 北区の会社員毛塚裕之さん(70)は午前11時20分ごろ、妻と一緒に席が空くのを待っていた。池袋で映画を見て、牛タンを食べるのが夫婦の定番デートコースだった。「なくなるのを今日知った。寂しいよね」 練馬区の無職筧範子さん(72)は震災直後、頻繁に店を訪れた。父親が仙台市生まれ。「何か買ってあげなきゃと思った」という。3月11日に店頭に設けられた記帳所には必ず足を運んだ。 ■12:00 レジ前には長蛇の列 正午過ぎ、レジの前には長蛇の列。埼玉県戸田市の会社員奈良皓介さん(25)と妻の会社員瑞穂さん(26)が白石温麺(うーめん)を買った。皓介さんは仙台市、瑞穂さんは宮城県白石市の出身。2019年に上京し、結婚した。 新型コロナ禍で実家に戻れない時期、よくプラザに通った。「埼京線一本で来られる」と皓介さん。瑞穂さんは「温麺はここでしか買えない」と残念がる。 ■13:30 元アルバイトが駆け付け 午後1時半ごろ、仙台市青葉区から駆け付けた会社員村上里奈さん(33)がスタッフと談笑していた。立教大在学中の10年秋~13年冬にアルバイトをした。 「1万円札を出して、お釣りを全部募金箱に入れる客もいた。ありがたかった」。被災地を応援しようと多くの首都圏の客でにぎわった震災の頃と、最後の1日の光景が重なった。 ■16:00 棚の商品も少なく 午後6時の閉店が迫るとさらに人出が増え、棚の商品も少なくなった。 午後4時ごろに来た北区の会社員鎌田康寛さん(54)は「もう物があんまりないね」と苦笑い。 宮城県美里町出身で月1回は通った。子どもの頃に食べた気仙沼市のふりかけを、毎回購入した。「地元を感じられた。人は来ている。賃料は高いのは分かるけど」と閉店を決めた県の方針がふに落ちない。 ■18:02 店長が涙のあいさつ 同じ頃、05年7月の開店当時から働くスタッフの高浜優子さん(63)は売り上げの確認に追われていた。東京・日本橋茅場町にできる後継店では働かない。 群馬県出身でさいたま市在住。宮城とは縁もゆかりもない。「宮城は、ずっと欲しかった第二のふるさとになった」と話した。 県産品を求める客足は、午後6時まで途絶えなかった。午後6時2分、最後の客を見送ったスタッフ全員が、店頭に並んだ。 店長の大蔵国孝さん(47)が、歩道に残った客らに向かい、感謝を伝えた。 「20年間ありがとうございます。新しい場所も、宮城出身者の心のよりどころになるよう頑張る」。目を真っ赤に腫らしていた。
河北新報