「香港人権法案」署名時宣言に隠されたトランプ大統領の意図
香港の民主化デモが長期化する中、アメリカの議会がまとめた香港民主化法案にトランプ大統領が署名しました。米中対立は、今後どう展開していくのでしょうか。アメリカ政治に詳しい上智大学の前嶋和弘教授に寄稿してもらいました。
「拒否」する選択肢はなかった
「香港人権・民主主義法案」は、中国が香港に高度の自治を保障する「一国二制度」をしっかり守っているかどうかについて、アメリカ政府が毎年検証するものである。香港の人権、民主主義を損なう政策や行動をとった中国政府や香港の要人ら対して、アメリカへの入国禁止や、アメリカ国内での資産の凍結などを行うことも定められており、極めて厳しい内容になっている。
貿易戦争をにらみ、トランプ氏は中国を刺激したくなかったとみられ、実際に署名を行うまでこの法案についての態度を明らかにしていなかった。 ただどう考えてみても、この法案に対して、大統領が拒否権を使うのはそもそも極めて難しかった。 まず、この法案が「アメリカ国民の総意」だった点が大きい。アメリカのメディアが連日、香港の民主化デモを報じる中、アメリカの世論は人権軽視の中国に批判的になっていった。民主化を支援する機運が議会で高まっていったのは言うまでもない。法案成立を訴え、アワシントンに乗り込んだ香港民主化運動のリーダーの1人の黄之鋒(英語名Joshua Wong)さんらの働きかけも有効だった。 それを示すように、議会は法案に賛成一色だった。当初、上下両院がそれぞれ別の法案を全会一致で通過させた。その後、両院の差を調整するために下院で再度採決したが、この時も反対はわずか1票だった(賛成は417票)。 さらにこれだけの賛成票がある中、たとえ大統領が拒否権を行使しても、議会が3分の2の賛成を集めて拒否権を覆し、立法化させる可能性もかなり高かった。 また下院では現在、トランプ大統領のいわゆるウクライナ疑惑の追及が進んでいる。トランプ氏にとっては、議会とのさらなる対立を避けたいという意向もあっただろう。香港の区議会議員選挙で民主派が圧勝したことも後押しとなったはずである。この選挙の動向もアメリカでは大きく報じられた。 もし、トランプ大統領が拒否権を行使した場合、どうなっていただろうか。第2次大戦以後のアメリカは、例外はあるものの、世界の民主化を基本的には支持し続けてきた。香港の人権法案が成立しなければ、アメリカが民主化運動に背を向けることとなってしまい、歴史的な転換点になりかねなかった。「クルドに続き、香港もトランプ政権は切り捨てるのか」という非難も必至だったはずである。 「アメリカ・ファースト」で他の国の人権問題には積極的とはいえないトランプ氏でも 、アメリカの理念から大きく逸脱するような動きは、さすがにできなかったといえる。米議会との対立を避けることも、民主化支援の世論に乗ることも、トランプ氏にとって、再選を目指す来年の大統領選にプラスであり、署名する方が得策であると考えたはずである。 トランプ大統領にとって拒否権を使うという選択肢はほぼなく、あとは署名のタイミングを考えていたはずだ。法案に対する米中摩擦の悪化が懸念されるため、株式市場が休みで影響が比較的少ない、感謝祭の前日を選んだ。株価が自分の支持固めに直結するとトランプ大統領は常に信じている節がある。