玉木雄一郎代表の「尊厳死の法制化」発言に恐怖で震えた…現場医師が訴える「終末期の患者は管だらけ」の大誤解
■生後数カ月の初ひ孫に会ったら… 帰宅してもしばらくの間は「もう早く死にたい。あなたたちの世話になりたくない」ばかり繰り返していた。だがその後、少しずつ食事を摂るようになり、非常に危機的な状態からは少しずつ脱していった。 そのタイミングで地方に住む長男が生まれて数カ月の初ひ孫を「ひいばあが生きているうちに会わせたい」と連れてきたのである。初ひ孫にリアルに会った母の目には、明らかに生気が蘇った。 その日から2カ月半の今、母は退院当時の瀕死の状態とは比較にならないほど活気が出て、少しずつ歩けるようにもなり、入浴もひとりでおこなえるようになってきたのだ。 「転倒して大腿骨を折ると大変だから気をつけなよ。でも同い年の美智子さんは手術したね」と先日実家を訪れた際に私が言うと、「もう入院も手術もいやだと言ったはず」と母。「でも寝たきりでなく歩けていた人なら最近は超高齢でも手術するよ。手術しなかったら、それこそ寝たきりになってしまうからね」との私の言葉に、「寝たきりになってしまうのはイヤね……そうか……」と母。 その反応を見た私が、母のACPをあらためておこなう必要性を感じたことは言うまでもない。 ■安楽死法制化は「あの人」でさえ躊躇した 選挙になると、少しでも支持を広げたいがために、「タブーに切り込む」などとの勇ましい主張を声を枯らして叫ぶ政治家に目を奪われがちだが、重要な選挙だからこそ、勇ましい言葉、キャッチーなスローガンに惑わされることなく、貴重な一票は熟慮した上で慎重に使いたいものだ。 とくに世代間の対立を煽り、人の命の価値に優劣をつける思考をうながそうとする主張には、最大限に警戒する必要があろう。 そういえば、先に掲げた条文には第二条がある。 ---------- 第二条 不治の精神病のために生涯にわたる拘留が必要とされ、かつ生き続ける能力をもたない病人の生命は、医学的措置によって、当人が知覚できない形で、かつ苦痛をともなうことなしに終わらせることができる。 ---------- じつはこれらの条文は、1940年10月にナチスドイツが提出した「安楽死法」(「治癒不可能な病人における死の幇助に関する法」)の最終案の一部である。 けっきょくこれはヒトラーが公布を拒否したため立法化されなかったとのことだが、それは内容が気に入らなかったからではなく、敵のネガティブな宣伝材料になることを懸念したためといわれている(※)。あのヒトラーでさえもこのような法律の立法化が「悪手」との認識だったとは、なかなか興味深い。 ※安藤泰至『安楽死・尊厳死を語る前に知っておきたいこと』(岩波ブックレット)より ---------- 木村 知(きむら・とも) 医師 1968年生まれ。医師。10年間、外科医として大学病院などに勤務した後、現在は在宅医療を中心に、多くの患者さんの診療、看取りを行っている。加えて臨床研修医指導にも従事し、後進の育成も手掛けている。医療者ならではの視点で、時事問題、政治問題についても積極的に発信。新聞・週刊誌にも多数のコメントを提供している。2024年3月8日、角川新書より最新刊『大往生の作法 在宅医だからわかった人生最終コーナーの歩き方』発刊。医学博士、臨床研修指導医、2級ファイナンシャル・プランニング技能士。 ----------
医師 木村 知