橋本聖子氏のキス強要はセクハラか?
セクハラのジャッジポイントに照らすと、どう考えてもセクハラ
日本スケート連盟の橋本聖子会長がフィギュアスケート男子の高橋大輔選手にキスを強要したと報じられ、物議を醸しています。この騒動についての大方の意見は、「誰が、どう考えてもセクハラでしょう」というものだと思います。その理由は、「あれを逆に男がやったら間違いなくセクハラになるのだから、女だってダメ」というものと、「どう考えてみても49歳のオバサンに20代の男性がキスをされて喜ぶはずがない」ということでしょう。 こうした判断は、セクハラのジャッジポイントの基本を踏まえた意見であり、極めて常識的なものと言えます。日本のセクハラは、当初は、女性から男性へのセクハラは“逆セクハラ”と呼ばれ、冗談半分に取り上げられてきました。しかし、2007年の男女雇用均等法の改正によって、女性から男性へのセクハラも禁止されることが法律的にはっきりと規定されることになりました。 そして、その判断ポイントは、「男性と女性の立場を入れかえて考えてみる」ことです。その意味では、「これを男性がやったら間違いなくセクハラ」であれば、橋本氏のキスの強要は間違いなくセクハラということになります。 そして、もう一つ重要な判断基準となるのは「被害者とされる人の不快感」の問題です。こちらは、「普通の男性の判断」(極端に感受性の強い男性を除く)が基準になりますから、「どう考えてみても49歳のオバサンに20代の男性がキスをされて喜ぶはずがない」という判断はきわめて常識的なものと言えるでしょう。
本人が嫌がっていなくても、環境を放置した使用者の責任が問われる
常識的にはセクハラでまったく問題ないのですが、肝心の本人が嫌がっていなかったらどうなるかという問題があります。今回の事件も高橋選手がとても歓迎しているとは思えないのですが、不快感は表明していません(俗に言う、大人の対応を見せている)。 確かに、セクハラは受けた人の不快感は基本的な要素であり、そこを抜きにして判断は出来ません。しかし一方で、往々にして「不快なのに不快と言えない」「不快と言わせない」力が暗黙に働くことも、大きな要素です。いや、むしろそうした力が働くからセクハラなのだと言ってもいいでしょう。 今回の件には「言えない」「言わせない」力が働いていたかどうかは別として、セクハラ規制については、こうした要素を重視して本人の受け止め方とは別に、起きたことへの責任(起きるような環境を放置した責任)を使用者に求める規制の仕方をしています。 つまり、本人が不快であったかどうかとは別に、そうしたことが起きたこと、起きないように防止しなかったことへの企業の責任を厳しく問う仕組みになっています。そこで、企業としては、セクハラを起こさない予防措置を取ることと、万が一起きてしまった場合には調査して行為者を厳しく処分することが必要になります。 これを今回の件に当てはめれば、スケート連盟は、セクハラが問題になった時点で、調査して被害者である高橋選手の言い分はともかく、スケート連盟の立場で行為者である橋本会長を厳罰に処さなければならないということです。