紺野ぶるま「5歳で卵巣と心臓手術」荒れた高校時代は「金髪、アイプチ、つけま、遅刻は100回以上」だった過去
親が「お前たちは今が人生で1番楽しいんだ。仕事はもっと大変なんだ。学校に通ってる時期が1番いいんだ」って言うたびに「え、これが1番なの?」って思うくらい、学校に行きたくなさすぎてやばかったです。でも、行くものだと思い込んでいたので、行きたくない気持ちを親に伝えることはなかったですね。当時は土曜日の深夜にやっていた「COUNT DOWN TV」を観ることが幸せで。その番組を観ているときは、まだ明日も学校が休みだ!みたいな気持ちになっていました。
── 中学校に入学したあとはいかがでしたか? 紺野さん:勉強は相変わらずできなくて、でも英語だけは習っていたので、ちょっとはできていました。体育が5で、英語は3、あとは全部2という成績でした。親に「1だけはもらわないで」って言われていたので、2だけは死守していました。 ただ、数学は特に分からなくて、テストで9点とか取ってたんですよ。だから中1の夏休みに個別指導塾へ行って、その塾でどの単元からできなくなったのかを調べるテストを受けてみたら、やっぱり小学2年生ごろから、分数の計算からで。分数の足し算・引き算・掛け算・割り算を習得するために中1の夏休み1か月間を費やしちゃって、みんなが“数学”で因数分解とかを解いてるときに私は“算数”をやっていたので、秋になっても結局学校の勉強にはついていけませんでした。
でも、ずっとバドミントン部に入っていて部活動漬けだったんです。初めは多かった部員がどんどん減って、最後は6人ぐらいしかいなかったんですよ。試合に出るのは5人なので結構出場できていて、都大会でベスト8になったりもして。推薦入試で私立の女子高校に進学することになりました。
■度重なる遅刻も「悪いほうがイケてると思ってた」 ── ギャルに目覚めたのは、高校に入学したころからですか? 紺野さん:そうですね。モー娘。全盛期だったので、ストレートアイロンで髪をまっすぐにして、いかにゴマキやなっちに近づくかとか、ルーズソックスに憧れてリブのソックスをくしゅくしゅにするとかは中学生のころからしてたんですけど、中学卒業後の春休みにギャル雑誌の『egg』を開いたんです。その瞬間、もう完全にこれだ!ってとりこになって。ガングロとかヤマンバとか、だらしないけどかわいいみたいな感じにめちゃくちゃ憧れて、髪を染めたりアイプチをしたりつけまつげをつけたりするようになりました。