さすがにどうかと…30代女優が「親の14光り」と呼ばれた“最大要因”と明らかな実力
素晴らしい俳優であることは自明
だけど例のタイトルが付いた記事をよくよく読んでみると、芸能関係者(これがまた眉唾物だと思うけど)への取材を踏まえながら、そんな批判にさらされている石橋だが、ドラマが放送されてふたを開けて見るとやっぱり彼女の演技は素晴らしいもので、存在感があると肯定的に捉えるものばかりだった。 下げを見せかけておいて上げる。評価が低いドラマを逆に評価して関心を集める。ネット記事にはよくある手口である。筆者の場合、いい作品なのになぜか頭ごなしに評価が低い作品に対して、いやいやなかなか肯定できる作品ですよと擁護することはある。 でも『ブラック・ジャック』に関してはなんだかそれもバカらしくなった。ドラマ本編はおろか、予告編すら見ていないことをここに告白しておく。だって、わざわざ上げ記事を書くまでもなく、石橋静河とは誰がなんといおうと素晴らしい俳優であることは自明のことだから。下げに見せかけて上げ評価をしてる記者や芸能関係者たちはたぶん、全然演技のなんたるかなんてわかっちゃいない。
「存在感がすごい」とは?
まぁでも筆者も結局は14光りの話題からわざわざ始めてしまっているのだから、これまた上げ記事のバリエーションに数えられちゃうのかなぁ。と、不安をもらしつつ、今一度、石橋静河の魅力をちゃんと主張しておくのは無駄ではない。 そもそもある俳優の演技を評価するとき、「自然体」と形容するのは論外だとして、「存在感がすごい」みたいな言い方にはもっと違和感がある。石橋の演技を評価する声の大半は後者である。 確かに石橋静河の存在感はすごい。でもそれまた自明のことで、じゃあどうすごいんだよ。と聞いたら、ほとんどの人は絶対に口ごもる。俳優は演技をして画面上に存在する。その画面に感じる存在感がすごいとは、なんだかよくわからないんだけれど、ある役柄を演じる石橋が今確かにそこにいて、やたらと生々しいなにか。で、そのなにかというのは、「存在感」などと一言で簡単に集約できるものではない。 つまり、本来言語化が難しいにもかかわらず、それを単に「存在感がすごい」と形容してしまっては、形容して評価したはずの石橋の存在感がどうも薄れてしまうという問題がある。