会心のKO勝利の裏にあった無数のサポート チーム安彦でもぎとった2年ぶり白星
6月30日に行われたRISE179大会で、西田祥(46=TARGET SHIBUYA)選手に勝利することができた。2回28秒でのKO勝利にはいくつかの要因が裏打ちされていた。 まずひとつ目は第7代RISEライト級王者である直樹君とのトレーニングでずっと積み重ねてきた右ストレートだ。トレーニングに行くと新聞紙を1枚1枚丁寧に用意している直樹くんがそこにいた。直樹くんとの出会いは、僕が初めて解説をした2022年に代々木第一体育館で行われたRISE ELDORADO。その試合は那須川天心選手のRISEラストマッチということもあり、異様な盛り上がりを見せていた。 直樹くんの相手は山田洸誓選手。侍VS武士の試合だった。その1年後、2023年に有明アリーナで行われたRISE ELDORADOで僕の試合があった。対戦相手はRISEのランカーKENTA選手。判定負けをしたその試合の解説が直樹くんだった。 試合前のウオーミングアップ中に真っ白いスーツを着た直樹君が現れて、お互いに軽い会釈をしてあいさつをしたのを今でも鮮明に覚えている。RISEのチャンピオンがおっさんファイターの戦いを気にかけ、なおかつ「安彦選手にしかできない戦い方で非常にいいですね」と褒めてくれたことが何よりも自信になっている。 そこから交流が始まり、今では家族で仲良しな状態。僕の妻は格闘家の妻としては素人である。そんな妻を直樹君の奥さまがラインのメッセージや直接会った時にかけてくれる言葉ですごく救ってくれている。妻も本当に助かっていると安心した表情で伝えてくれたことがある。これは格闘家の妻同士でないと共有できない感情だと思う。 そんな交流を経て、何度もトレーニングを一緒にやらせてもらう中で、今回の右ストレートは完成していった。新聞紙を用意してくれた直樹君は「アビさんは追い込むトレーニングとかは黙っていても自分でやるから、僕が関わることでできるオリジナルを試していきたい」と言ってくれた。それがとってもうれしかった。 セオリーではなく、僕のスタイルに合っていて、間違いなく伸びそうだと思うものを徹底してくれた。そのひとつが「新聞紙ストレート」だ。直樹君が持った新聞紙に穴を開けるという至ってシンプルなトレーニングだが、直樹君は新聞紙の端を2カ所つまむだけ。普通に打ち込めば新聞紙は抵抗しないのでそのままパンチの威力を受け流してしまう。これが今まで僕がやってきた相手をなぎ倒そうとするパンチだ。 要するに押し込むようなパンチで、力の伝わり方としてはインパクトがないものとなる。だから今まで右ストレートで倒したことどころか、しっかり当たって効かせたという記憶と感触がほとんどない。新聞紙に穴を開けるパンチはインパクトが重要となるので、「倒す」ではなく「沈める」というイメージ。その言語化が僕にはハッキリ感覚でわかるようになった。 直樹君のトレーニングはオリジナリティーにあふれているが、その一方できっちり理にかなっている。7月26日には直樹君の復帰戦がある。一刀両断するようなキレのある侍ストレートで、きっと勝利のリングになることを僕は信じている。 そしてもうひとつは、相手の左半身を攻め切るという戦術。これは多くの野球選手を見ているトレーナーで、メジャーリーガーが帰国すると必ずアドバイスを求めるという木村さんとのトレーニングから培った戦略だ。 相手の目や首、肋骨(ろっこつ)や骨盤、膝や足首など全ての部位の重心の位置、いわゆるパワーポジションを分析して、どこにどんな強みと弱みがあるかを相手のスキルではなく、体の構造として分析し、それを自分の体にインプットしていく。これを頭に入れるだけでは思考となり、試合中に判断を要求されてしまう。それでは確実に遅い。僕に必要なのは判断ではなく、反射と反応。ヤカンを触って「熱い」と感じる瞬間には手を離しているあのスピードが重要だ。 何度も何度もシミュレーションをして、何度も相手の映像を見て形をたたき込む。どこから攻めて、どこに入り込み、どんなスキルで倒すのか。その結果、右ストレートもきっちり相手の左側を捉えている。 木村トレーナーは模写の天才だ。彼がまねする相手選手はほぼその選手と同じスタイルの動きをする。その結果、リングに立つ前にいつも「見たことのある景色」を作り出してくれている。あの人はモノマネ王である。 最後に、今回クリンチ(ホールディング)で口頭注意を受けた。そうした展開への対策も含めてボクシングの観点から戦略を練ってくれたコーチがいる。それが元プロA級(日本ランキング選手)で2016年に全日本新人王を取っている粟田トレーナー。彼は元々僕の教え子である。 彼が高校時代、僕がそこで先生をしていて、なおかつサッカー部の顧問だった実弟がいた縁で何度も教えに行っていた。その縁が月日を経て、今度は立場が逆転した。 彼が先生で僕が生徒。毎週月曜日はアワトレと題して公園で彼のボクシングトレーニングを受けていた。その中で僕の不安となる部分をいくつか打ち明けた。 僕は試合前必ず「最悪を想定して、最善を尽くす」というイメージトレーニングをしている。その中でひとつの不安がよぎった。それは今回の相手がデビュー戦であること。戦略的というよりは強みを生かしてくるだろうと想像した。そうなると僕のファイトスタイル的にロープ際に追い込まれるシーンが想定される。 なぜなら相手選手は体の強さと右のパンチの強さで押し切りたいはず。ラッキーでもいいから当たればOKくらいの感覚で振り回してくる。そんな話を粟田トレーナーにしたところ、いろいろ策はあるが、一番安全なのは相手が近くに来た時は相手に組みついてクリンチをする、というシンプルな提案だ。 これが僕には合っているとお互いに判断をして、その状態からの攻防もトレーニングを重ねた。ただクリンチワークは非常に難易度の高い技。取得するまでには時間が必要だった。そのため、まずは難を逃れるというポイントだけに絞ってトレーニングを重ねた。 試合が始まると案の定その状態になった。練習通りクリンチを使い難を逃れたが、レフェリーには印象が悪く口頭注意を受けることになった。ただこれも想定内だったので、メンタルを左右されることなく、試合を自分のペースで運べたことが今回の勝利につながっていったのは間違いない。 それ以外にもたくさんのサポートがありあのリングでの勝利につながっている。僕の試合を見ていろいろなアンチがさまざまな観点から批判をしてくるが、その場しのぎのお遊びの試合をしているわけではない。 最悪を想定して、最善を尽くす。これはリングで天井を見上げているところから始まるんだ。その時の恐怖感も一緒に味わいながら、何故?どうして?を繰り返す。そこにはスキル以上にマインドの問題がある。慢心、妥協、惰性、小さなことに背を向けると、悪い方向へのスタートを切ることになる。 過剰にネガティブになる必要はないが、想定されるすべてのことに目を向けて心を向ける。そして最後は、見に来てくれた仲間が拳を突き上げ最高に喜ぶ姿を想像する。その時に初めて勝利という言葉を使い始める。 諦めるな、立ち向かえ、まだ打ち手はある。人生はいつだって自分が負けを決めなければそれはいつでも勝つ途中なんだ。苦しい時はどこかで拳を握って空に向かって突き上げよう。そのエネルギーが必ず自分の原動力になる。 さぁいくぞ。右手を突き上げて、準備いいか!!? いくぞ!3・2・1・バモーーー!! ◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。22年2月16日にRISEでプロデビュー。プロ通算3勝1分け2敗。175センチ。 (ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「元年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)