なぜSNSに忙殺される? 同調圧力と承認欲求強い大衆増えた日本の未来
こんな風に少し変わったことをすると「変!」の一言で片付けられてしまいます。といって周りと全く同じではアピールになりません。そこで、図2のように少しだけ周りと差をつけて自己をアピールすることがベストとなります。「ナンバーワン」を目指すと浮いてしまうので「オンリーワン」が求められることになるのです。 リースマンはこうした、浮かない程度のわずかな違いを巡る競争を「限界的特殊化競争」と呼びました。少し難しい表現ですが、限られた範囲で個性を出そうとする競争のことです。学生に聞いてみると定番の装いにワンポイントのアクセサリーをつけたり、メジャーアーティストのマイナーな曲を歌ったりするのがセンスがよいみたいですね。 ただ、浮かない程度のアピールはなかなか難易度が高いです。どの程度なら許容範囲で、どこまでやると変になるのか、オフサイドラインギリギリを見極めないといけません。半歩先を行くには、どこが半歩で、どこからが勇み足になるのか、レーダーでよくよく探ることが必要になるのです。AKBや嵐などグループアイドルの人気が高いのは人気グループという枠の中で“推しメン”を変えることで、浮かないように差をつけやすいからだと考えられます。 他人指向者はこのように何を着るか、何を歌うかなど消費の場で日々繊細な競争を繰り広げています。内部指向者が主に生産の場で競争していたのとは対照的です。内部指向者は消費には無頓着で着るものも食べるものも余り気にしませんが、他人指向者にとってはそこでの違いが重要となるのです。
2 企業の競争、メディアの競争
他人指向者が多数を占める社会では企業も限界的特殊化競争をします。周りと同じ商品ではアピールできません。といって、あまり変わった商品は敬遠されてしまいます。それを買った人が「変!」と言われてしまうからです。そんなわけで企業も「ちょっとした違い」を他社と競うことになるのでした。リースマンは例えば「普通より少し長いタバコとか切り口が楕円形になったタバコとか、コルクの吸い口がついているのとか」そういったわずかの違いで競争すると述べています。「自動車や流線型列車、ホテル、大学の経営者も似たようなことをやっている」。 そんな中で、成功した商品や手法は他社に模倣されることになります。人気の有名人やタレントを使ったCMは各社で模倣されます。そうなるとそのタレントが出てくるCMが「普通」になってしまうでしょう。これでは差別化できませんので、また新しい半歩先を行く旬のタレント探しが行われることになります。そのタレントが、人気が出ると……という形でこのサイクルは際限なく繰り返されていくことになるでしょう。限界的特殊化競争は流行の移り変わりを生むのです。 このように限界的特殊化競争では「ベスト」の状態は決して固定化されてはいません。それは常に模倣によって「平凡」や「普通」になる恐れがあります。そのときには一昔前は「変」だったものがセンスのいい「ベスト」になるかもしれません。そしてかつては「普通」であったものは「時代遅れ」になってしまいます。こうして「ベスト」も「普通」も「変」も常に移り変わっていくのです。 他人指向者はこうした移り変わりの中で「半歩先」を巡る競争を繰り広げています。何が今の「旬」で、何が「変」で、何をすると「時代遅れ」なのか。リースマンの時代には雑誌がこれらの情報を教えてくれるメディアでした。色鮮やかなグラビアや広告を満載した雑誌が流行の先端を教えてくれるとともに、さまざまな失敗談を通じて時代のNGも伝えていたものです。 1970年代以降はテレビがこの役割を果たすようになります。テレビ局自体が視聴率競争という限界的特殊化競争をしながら、他人指向者のニーズに応える番組を競って制作するようになるのです。2010年ごろまでは他人指向傾向とテレビの視聴時間には、はっきりした正の相関がありました。他人指向者はテレビから流行情報を仕入れていたのです。 現在はその役割がTwitterやInstagramのようなSNSに移りつつあります。刻々と変化するタイムラインには「旬」のワードが次々に表示され、時にはバズを起こし、そして忘れられていきます。インターネットは限界的特殊化競争の加速装置の役割を果たしているといえるでしょう。こうして他人指向社会では人も企業もメディアも限界的特殊化競争に忙殺されていくことになるのです。