ジャーナリスト・安田純平さんが会見(全文1)皆さんにおわびと深い感謝
安田純平さんによる取材目的の説明
安田:安田純平と申します。よろしくお願いします。本日は貴重なお時間を割いていただきまして、ありがとうございます。今回、私の解放に向けてご尽力いただいた皆さん、ご心配いただいた皆さんに、おわびしますとともに、深く感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。 私自身の行動によって、日本政府が当事者にされてしまったという点について、大変申し訳ないと思っています。何が起こったのか、可能な限り説明することが私の責任であると思っています。この場をお借りしまして、拘束から解放までの経緯について、説明させていただきたいと思います。よろしくお願いします。 まず、今回の取材の目的についてお話しいたします。2015年5月末に日本を出ましてトルコに入りまして、取材を進めるうちに、シリアの反政府組織である自由シリア軍から、イスラム国に関する資料を入手しまして、それまで表に出ていなかった資料であろうと、イスラム国に人質になったフランス人であるとか、アルカイダ系組織であったヌスラ戦線の人質であったスウェーデン人の映像であるとかいうものが入っておりましたので、信憑性は高いであろうと考えて、その関連の取材をしていました。 イスラム国の資料については戦闘員のリストであるとか、それぞれの家族構成によって給料が違うとか、それぞれの月の予算の表であるとか、そういったイスラム国が単なるならず者というよりは、きっちりとした組織、国家のような組織を構成しているというような一端が見えましたので、これについてはさらに取材をしたいと考えていました。 それから、2015年の5月ごろですが、当時イスラム国が非常に注目されていた中で、それ以外の反政府側の組織が、イスラム国に対抗するという意味で、それぞれ、いがみ合っていた各組織が1つの同盟といいますか、協力関係を組むということをし始めて、背後にいる協力者、支援者、国であるとか組織であるとかいうところからも、奴隷が出たということで、同盟関係を組むようになりまして、シリア北部、北西部のイドリブ県を中心とした反政府側の地域が一定の安定を見せ始めたころで、イドリブにあるイドリブ市ならびにジスル・アッ=シュグール市という主要都市を政府側から奪い取りまして、勢力を伸ばし始めていた時期であったと。 で、イスラム国が非常に注目される中で、非常に凶悪な組織であると言われていた。で、一方で、ではアサド政権については、空爆などによって多くの死傷者を出していたイスラム国に問題があるならば、ではアサド政権なのかという、単純な話なのかというと、恐らくそうではないであろうという中で、イドリブを中心としていた反政府側の地域にはどんな可能性があるのかというところを見たいと思っていました。 この絶対的な権力のない地域で、武装勢力が力があるといっても、人々の地域社会がどのように安定しているのか、恐らく人々の共通の価値観であり倫理観であるイスラムが、恐らくこの地域の安定に寄与しているのであろうと私は考えまして、当時すでにイドリブの中には、イスラム法廷という、イスラムの法律ですね、シャリーアに基づく裁判を行うイスラム法廷が設置されていたり、イスラム系組織の同盟軍であるファタハ軍というのがあったんですが、そのファタハ軍の構成組織、それぞれからメンバーを出して警察組織を組み、一般治安の維持も始めていた、そういった状況。それからその中で生活しているキリスト教徒あるとか、イスラム教のドゥルーズ派であるとか、そういった少数派の人々がどういう扱い、どういった生活をしているのかというところをぜひ見たいと思っていました。 このイスラムに基づく地域社会というものが、外部の人間から見て理解しうるものなのか、理解し合えるものなのかというところを探りたいなというのが今回の目的でした。 そしてそういった地域に外国人義勇兵も集まっていて、そこで生活しながら反政府運動に参加すると。で、外国人が関与することについて批判する人々もいたんですけども、反政府運動そのものを疑問視するという声もあったんですが、そういった人々がどういった事情でそのような戦闘地域にやってきていたのか、彼らがどんな理想を抱いてそこに来るのか、彼らのもともと住んでいる国であるとか社会に何か問題があるのかどうなのか、というところまでいずれ広げることができれば、現在のこの世界を見る上で、これからの世界を見る上で参考になるのではないかと考えたのが、今回の取材の目的でした。 いわゆる領域国民国家という枠組みを超えて、それとはまた違った価値観で動く非常に大きな人の流れが、当時、今でもあるわけですけども、そういった世界が存在すると。この表に見えている世界とは違う世界がある。そういうものを追ってみたいと思っていました。