「吉村とは会話をしないのが円満の秘けつ」M-1ラストイヤーは精神的に追い詰められた徳井健太が相方とのコンビを24年間続けられる理由
吉村も同様で、考えているように見えても自分の中にすでに答えを持っているタイプだから、俺が何か言っても答えは変わらないはず。こんなふたりなので、それぞれプライベートは自分で決めたようにやればいいと、会話をやめたんです。でも、仕事面は吉村の言うとおりにやっていました。
■「菓子を薬に見立てて」追い詰められた10年目 ──あまりしゃべらないけれど、仕事は吉村さんの言うとおりに。コンビとして大きな転換期や解散危機などはありましたか?
徳井さん:結成10年目くらいの28~29歳のころ、まわりも売れ出して、M-1ラストイヤー(当時の出場資格は結成10年以内、現在は結成15年以内まで)ということもあり、すごく焦っていました。いよいよ精神科に行くしかない、っていうくらいストレスを感じて、パニックみたいな感じ。毎日本当につらくて、ミントの錠剤菓子を薬に見立てて、鏡の前で15分くらい自分に暗示をかけてました。「これを食べたら気持ちがスーッとするけど、ふだんは食べちゃいけないよ」って。相当ヤバいでしょう?もうお笑いやめようかと思い詰めていたんです。
で、最後に後輩と一緒にお笑いライブをやってからやめようと考えました。それまでの10年間、吉村の言うことを聞いて、自分が思いついたアイデアや、気持ちを言ったことなかったんですよ。でも、最後だから自分でも企画しようとしてやってみたら、案外楽しかった。そこから自分でいろいろ考えてお笑いをやるようになり、ストレスも抜けていったので、「もうちょっと頑張ってみるか」という気になりました。 ── 仕事で、自分のアイデアや気持ちを表現するようになり、吉村さんとの関係は?小藪さんの生き方を変えた、先輩の小藪一豊さんとの運命の出会いは、その後ですよね。
徳井さん:この最後のつもりのライブから、小藪さんに精神をたたき直されるまでの5年間は、吉村とはなるべく距離を置いていたかも。自分を正解だと疑わなかった僕ですが、小藪さんのおかげで人の気持ちを思いやれるようになり、変わりました。でも、小藪さん以後も、僕と吉村との間のとり方は、独特でした。僕は僕で仕事するし、おもしろいことはやりたいけど、ガツガツして一番売れたいかというと、違う。吉村が活躍してくれたら僕は僕で嬉しいから大丈夫、みたいな感じです。