スーパーパティシエ長江桂子、「アポテオーズ」北村啓太の「この一皿から今、伝えたいこと」
海外で長く経験を積んだからこそわかる、日本のもつポジティブな可能性。パリで一ツ星を得て凱旋帰国したシェフ北村啓太と、世界を駆け巡るパティシエ長江桂子がそれぞれの次なる挑戦を語り合う 【写真】ビジュアルも唯一無二な北村啓太、長江桂子の料理 (左)北村啓太(きたむら・けいた) 辻調理師学校卒業後、小田原「ラ・ナプール」「レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ」で修業。2008年渡仏し、「ピエール・ガニェール」「シェ・レザンジュ」などで修業。2011年ビストロ「オウ・ボン・アクーユ」にてシェフ。2017年「エール」のシェフを務め、2019年よりミシュランガイドフランスにて5 年連続一ツ星獲得。2023年帰国、「アポテオーズ」料理長就任 (右)長江桂子(ながえ・けいこ) 弁護士を志し、学習院大学からフランス・ソルボンヌ大学に留学。「ル・コルドン・ブルー」でディプロマを取得。「ラデュレ」、ロンドンの「スケッチ」「ホテル・ル・ムーリス」を経て、2004年「ホテル・ランカスター」シェフパティシエ、2008年パリ「ピエール・ガニェール」シェフパティシエ。2012年ガストロノミー界のコンサルティング会社「AROME(アローム)」を設立
2023年11月。東京・虎ノ門ヒルズの「TOKYO NODE」内に、フレンチレストラン「アポテオーズ」が誕生した。この店を率いるのはパリの「ERH(エール)」で5年連続ミシュランの一ツ星を獲得してきたシェフ、北村啓太だ。 片や、本誌のウェブ連載でもおなじみ、世界で大活躍のパティシエ・長江桂子。ふたりはパリの「ピエール・ガニェール」でともに働き、「桂子さん」「啓太くん」と呼び合う仲。凱旋帰国といわれる北村と、最近、仕事の場を少しずつ日本にも展開しはじめている長江が、フランスでの経験を踏まえ、今後の展望や仕事への思いを語り合った。 ──パリの「ピエール・ガニェール」ではどれくらい一緒に仕事をされたのですか。 北村: 2008年の渡仏直後に入店しました。当時のシェフパティシエが桂子さんでした。言葉も不自由で、通訳してもらうことも。本当にお世話になりました。 長江: 私はガニェールグループ全体のデザートを担当していて出張も多く、そんなにお世話できていなかったけど(笑)。その後、啓太くんはビストロの料理長を経て「エール」で一ツ星を獲得、去年帰国されたのね。 北村: はい。パリで二ツ星をと思っていたのですが、日本からオファーをいただいて。虎ノ門ヒルズというビッグプロジェクトで、パリでやっていた以上のことができるなら帰国しようと決めました。料理人は自分で店を開くことが最終目標になりがちですが、今の時代、個人でのガストロノミーレストランの運営はとても大変です。企業と組むことで料理に集中できる環境を整え、ミシュランの一ツ星以上を狙いたい。星のために仕事をしているわけではないのですが、星はフレンチの料理人として一つの誇りだと思う。それをきっかけに次のステップアップにつながると考えています。 長江: 啓太くん、いいタイミングで帰国したね。経験を積んでからのチャレンジなので、大きくステップアップできると思う。 ──おふたりとも、長いフランス生活で苦労されたことがあると思いますが。 北村: 僕はフランスで大変だと思ったことがないんです。学校を卒業して入った成澤由浩(よしひろ)シェフの店(当時は小田原「ラ・ナプール」)での修業が本当に大変で。完璧を求める成澤シェフについていくのは並大抵のことではなく……。あの経験があったから、フランスでは何でも来いという状態でした。成澤シェフには本当に感謝しています。ただ、ガストロノミーの経験しかなかったので、ビストロでは初めての仕事が多く、鍛えられました。厨房スタッフ4名で昼夜計100名ほどのゲストに対応するので、朝7 時半に始動、夜中まで働き詰めでした。鹿や猪は毛がついたままで来るし、1週間に羊3頭をさばいていました。肉に丁寧に火入れするなんて無理。ビストロではオーブンに放り込む。そんな状況でベストな火入れを試行錯誤。料理人としての幅が広がり、技術や瞬発力を磨くよい機会でした。 長江: よい経験でしたね。 北村: マルシェにも通って、食材を見て回りました。食材と触れ合うことで、知識を自分に叩き込めたことがよかった。一方で、フランスでは家族との時間を大切にするようになりました。フランス人は仕事をするときは仕事に集中し、パッと切り上げてプライベートの時間を楽しむ。メリハリのある時間の使い方がいいなと。娘が生まれ、離乳食は僕がほぼ作りました。 長江: 娘さんは幸せね。私はガニェールシェフに鍛えられました。メニューがめまぐるしく替わるでしょ。彼にとってお皿はキャンバス。いったん絵を完成させても、翌日は色や形を変え、消して新たなものを描く。それに合わせてデザートも替える。 北村: あの天才シェフの要望を理解するには、知識と経験、瞬発力が必要ですね。 長江: 全店舗のデザートを担当していたので、辞めるとき渡したレシピは5,000以上に。 北村: それはすごい! 長江: 私はパリの大学に留学し、そのままパティシエの道に入ったので、仕事はフランスでしかしたことがなかったんです。今になって日本のことを学んでいます。