日本の「土地」には「神や霊や念」がやどっている…「日本の古典」を読むと、強くそう思える理由
世界的に見ても特殊な日本の土地
祭礼の夜、神霊はまくらに憑り移り、託宣者がそこに頭を置いて仮眠をすると、まくらに移った神霊が託宣者の中に入り「神語」を託宣するというのです。 夢幻能の前半で、里人の姿で登場した幽霊(シテ)が一度消えると、旅人であるワキは「露を片敷く草枕」と草枕を敷いて仮寝をします。するとそこにシテがその本当の姿を現して再登場する。能においても草枕は神霊であるシテを待つための装置であり、仮寝はそのための儀式なのです。 そして枕がそうであるならば、歌枕としての土地も神霊の宿る装置であり、だからこそ能のシテの「残念」はそこに留まるのでしょう。 それにしてもたかが土地に神霊というのは少々大げさな気がします。しかし、日本の土地というのは、世界的に見てかなり特殊なのではないかと私は思っています。 たとえば、日本では時代をあらわすのに地名を使います。奈良時代、平安(平安京)時代、鎌倉時代、室町時代、そして江戸時代と。そして、時代を冠された土地は、その時代の性格をいつまでも保持します。平安京であった京都は、いまでも平安時代の面影を色濃く残していますし、鎌倉などもそうです。土地は時代の記憶をもったまま生き続けるのです。 しかし、これは時代を冠された土地だけではありません。『風土記』や『古事記』などの中には地名命名の神話が多く載っています。 ヤマタノオロチ退治を終えた建速須佐之男命が、自身の宮を造るために須賀の地にたどり着いたときに「この地にやって来て、私の心はすがすがしい(吾此の地に来、我が御心すがすがし)」と言ったことで、この地が須賀という名になったとか、あるいは神武天皇東征のとき、神武天皇の兄である五瀬命が、深傷の御手の血をお洗いになった土地が「血沼海」と呼ばれるようになったとか、そのような話は日本の神話にはたくさんあります。 * 『「日本の和歌」のスゴい力をご存知ですか…? 土地に記憶を封じ込める「驚きの技術」』(11月3日公開)へ続きます。
安田 登(能楽師)