「濃密な神話に浸った」「今のアメリカには虎永が必要」 アメリカ人が口々に語る『SHOGUN』の圧倒的な魅力
ジャッキー・チェン氏のようにハリウッドチックなコメディで楽しませるというのではなく、アジアの自国文化を体現できる男優に、真田氏がチャンスを与えたと強調する。 ■日本の歴史という「未知」に接する特殊な魅力 「SHOGUNは、驚異的なドラマだった」と話すのは、デビッド・ブッシュマン氏で、ペイリー・センター・フォー・メディア (旧テレビ & ラジオ博物館および放送博物館)の元テレビ・キュレーターだった。
同氏が注目するのは、映画とは異なるSHOGUNのドラマ性だ。 「ドラマは、エピソードごとに次のエピソードを視聴させる作りが必須だ。それには、強力な人物描写とストーリーテリングにリソースを傾注しなければならない。アメリカでの成功例では、『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア(邦題)』の主役トニー・ソプラノがそうであり、SHOGUNでは、吉井虎永、ジョン・ブラックソーン/按針、戸田鞠子が、(エピソードを見続けるために)際立った演技をみせた」
日本の戦国時代という設定で、日本の現代のアニメ、漫画、映画に親しんだ視聴者が、未知だった日本の歴史に接したというのも特殊な魅力だったという。 「視聴者は、容赦ないテンポと、何が起こったのかを知るために毎回エピソードが終わるたびにインターネットにアクセスしなければならない。それくらい濃密な神話に浸っているという体験を楽しんだ」 実際に、筆者の友人でエンジニアのイアン・パラデス氏は、戦国時代に関する本を読み、SHOGUNのストーリーが「100%フィクションではないと初めて理解した」という。
「全編を貫く王宮(発言ママ、武家の意味)の陰謀もとても興味深くて、それが二重三重の礼儀で包まれているのも面白かった」 ■西欧文化を学ぶきっかけにもなった 同時にアメリカ人が、17世紀当時の西欧文化を「逆に」学ぶきっかけになったという見方もある。日米文化についてのブロガー、作家で、早稲田大学客員教授のローランド・ケルツ氏は、こう指摘する。 「SHOGUNを(歴史的に)ごまかしがない作品にしている重要な要素は、ブラックソーンと彼の仲間のヨーロッパ人が、比較的洗練され文明化されていた17世紀の日本における”外国人”として描かれていることだ。