“冠攣縮性狭心症”で心肺停止 医療ライターが体験した「ブレーカーがバチッと落ちたような“無”の世界」
大病を患った人の多くが、発覚当初に感じるという「まさか私が……」という思い。その「まさか」を経験した医療ライターの熊本美加さん(57)に、辛く厳しい闘病の日々を赤裸々に語っていただきました。 【写真あり】もしもに備えて用意している“医療情報ポーチ”には、名前、年齢などの基本情報がわかるもの、かかりつけ医の連絡先、保険証等の各種証明書などが ■ 「心肺停止に陥ったときは、ブレーカーがバチッと落ちるように、すべてが一瞬で停止した感じでした。私が体験したのは、自分を含む一切が消滅する“無”の世界でした」 医療ライターの熊本美加さんが、仕事のアポイント先に向かう山手線の車内で突然倒れたのは、’19年11月19日のこと。 予兆は、あった。 「2週間ほど前から毎朝、当時の日課となっていた7時台のドラマ『おしん』の再放送を見ていると、ひたひたと胸が締めつけられるような痛みを感じることが続いていました。それでも10分くらいソファにじっと横になっていると治まるので、ほうっておいたんです。 バツイチ、アラフィフで、保護猫3匹と平穏、気ままに暮らしていた私でしたから、友人たちからも『仕事の疲れでは?』『更年期じゃない?』と言われ、私自身もそう思い込んで、予兆を見逃してしまいました」 そして訪れた、あの日。浜松町駅手前にて車内で倒れて心肺停止となった熊本さんに対し、駆けつけた駅員がAED(自動体外式除細動器)を4回作動させても心拍は戻らず、20分後に救急隊が到着して、都内の救命救急センターのICUに搬送された。 もちろん熊本さん自身には、この間の記憶はまったくない。 「車内で居合わせた“バイスタンダー”の方々の命のリレーや駅員さんの心臓マッサージなどがなければ、私はそのまま死んでいた可能性が高い。もっと言えば、あのとき独り暮らしの家で倒れていたら、私は確実に孤独死して腐乱死体になっていたでしょう」 心肺停止から50分後、熊本さんの心臓は人工心肺とつながり、一命を取り留めた後に、「冠攣縮性狭心症」と診断された。 ICUに入って2週間後には人工心肺が外され、次に「皮下植え込み型除細動器(S-ICD)」を左脇に付ける手術が行われた。 「すると、脳への酸素が滞ったダメージによる意識混乱で、看護師さんに暴言を吐いたり、車いすで脱走を試みたりして、鍵付きのベルトでベッドに拘束されました」 同時期に、失語や記憶障害など社会的行動に支障をきたす「高次脳機能障害」状態であることも判明し、12月27日にリハビリ病院へと移った。 ■医療情報をまとめたポーチが“命綱”に 作業療法士や理学療法士らのチームが一丸となってのリハビリを経て、やがて車いすを降り、年明けの’20年1月27日、緊急搬送されてからおよそ70日後に退院。 在宅リハビリを続けながら、ちょうどコロナ禍が始まるころでもあり、猫互助会(鍵を託し合い出張や急病などのときに猫の世話をする仲間)のリモート打ち合わせなども徐々に再開して、2カ月ほどが過ぎたときだった。 スーパーの帰り道、胸に違和感を覚え急いで帰宅。狭心症発作の再発かと焦り、#7119(救急相談センター)に電話をする。10分後に救急隊が駆けつけるが、熊本さんは胸の痛みや嘔吐の苦しみでまともな会話ができない。そんなとき、彼女は隊員らに枕元の横に置いてあるカバンを指さした。その中には、医療情報をまとめたポーチが入っていたのだ。