「あさま山荘事件」狂気の集団の最後をテレビが映しだしている 昭和47年「サンケイ抄」 プレイバック「昭和100年」
これほど吐き気をもよおさせるドラマがあっただろうか。いや〝ドラマ〟などと言ってはならぬ。言ってはならぬが、茶の間にとび込んできた白昼の悪夢のようなテレビ中継を、とても現実のものと思いたくないのだ。 ▼大鉄球で山荘がこわされる。壁に穴があく。ガス弾。放水。血まみれの警官が運び出されてくる。いつまでも泰子さんの救出がままならない。息苦しいまでの光景である。山荘にポッカリあいた穴は、そのまま犯人自身の、もはや救いようのない破壊と荒廃を物語っている。 ▼犠牲になった警官は、ほとんどが先頭に立って突入していった中年の隊長たちだった。家庭には妻もいよう子もいようが、人質救出の強い責任感から真っ先に山荘に飛び込んでいったのだろう。山荘内のライフル弾は、生命を救うために突入した警官の頭と顔をねらって、的確に放たれた。 ▼かかる犯行にはもはや一片の人間性も認められないし、血も涙もない人間以外のものだと考える。機動隊員の生命は、人質・泰子さんの生命と全く同等に重く、尊い。事件解決を喜ぶ気持ちなどにはとてもなれないのだ。殉職者たちの家族は、どんな気持ちだろう。心からおくやみとお見舞いをいいたい。 ▼前日まで同じテレビの画面は、北京の壮大な〝歴史ドラマ〟を送り込んでいた。何億という世界の人びとは、「制度が異なり、価値観が異なる国と国民が、意見の相違がありながら、互いに尊敬しあい平和に共存する」さまをテレビで見た。 ▼「対立」から「対話」の世界へ大きく変わったのを知った。そんな時代にもかかわらず、一つの思想の、というより一つの狂気のトリコになった集団の最後を、テレビが映しだしている。恐ろしい光景だ。それにしても、彼らをここまで駆りたて、そそのかした本当の責任者はだれなのだろう。まったく食欲のない一日である。 (昭和47年2月29日)