福士蒼汰×松本まりかが『湖の女たち』で辿り着いた、役者としての新境地。「自我から開放され、ゾーンに入るような感覚」
吉田修一の同名小説を、福士蒼汰、松本まりかのW主演で、『MOTHER マザー』(20)の大森立嗣が監督、脚本を手掛けて映画化した『湖の女たち』(5月17日公開)。介護施設での殺害事件を発端に、誰も想像がつかない方向へと物語がうねり出し、重層的な構造と壮大なスケール感で観る者を圧倒する本作。事件が混迷を極めるなか、身も心もさらけ出す難役に挑んだのは、刑事の濱中圭介を演じた福士と、事件が起きた施設の介護士、豊田佳代を演じた松本の2人。いままでに観たことのないほどによどんだ福士の視線と、松本によるむき出しの心がスクリーンにそのまま映しだされている、と公開前から話題沸騰だ。 【写真を見る】シックな黒の衣装に身を包んだ福士蒼汰×松本まりかによる、思わず吸い込まれてしまいそうな2ショット 先日実施された完成報告会では、劇中のインモラルな関係を作りあげるため、福士と松本は1か月間に及ぶ撮影中、「最初の挨拶と本番のセリフを除いては一切会話をしなかった」という、驚きの事実が明かされた。松本からは「正直、(福士のことが)嫌いでした」と、本音ともサービストークとも判断がつかないようなぶっちゃけ発言まで飛び出したが、果たして真相はどうだったのか。会見を終えたばかりの福士蒼汰と松本まりかを直撃した。 ■「圭介と佳代は“磁石”のような関係」(松本) ――撮影期間中、カメラの前以外では一切コミュニケーションを取られなかったそうですね。それは、お互いの同意のうえのことだったのでしょうか? 松本「特に示し合わせたわけではなかったのに、お互いに嬉々としてやっていたんだなって。そういう意味では、圭介と佳代のようでもあって。いきなり、“本質”をやってしまうから」 ――会見では、撮影中は「(福士さんのことが)嫌いでした」とおっしゃっていましたが、実際のところはどうだったんですか? 松本「実は、意外と相性がいいと私は思ってる」 福士「僕らは相性いいんですか?」 松本「えっ!?違うの?(笑)」 福士「いや…(笑)」 松本「…!」 福士「思ってます(笑)」 松本「それこそ私は、撮影中『福士くんとは、もう絶対に話すことなんてない』と思ってましたけど、いざ取材で一緒になってみたら『なんだ、こんなに話しやすい人だったんだ!』っていう、純粋な驚きがあって。まだ3回くらいしか話してないけど壁がまったくないんです」 福士「僕には本当は壁なんてないということを、ようやく気づいてもらえてよかったです(笑)」 松本「それでも私は、ある意味、“圭介”が福士くんの本質だと思ってはいるけどね。『いま私の目の前にいる“福士蒼汰”は、かりそめの姿でしょ』って。だから、それが世のなかに出るのが楽しみ!読者の皆さんも、映画を観たら私が言っている意味をわかってくれると思う(笑)」 福士「いやいや(笑)。さすがに僕の本質は“圭介”とは全然違います(笑)」 松本「圭介と佳代って、喩えるなら、違う極同士だとくっついて、同じ極同士だと反発する“磁石”のような関係だと私は思うんだけど、取り調べのシーンの福士くんの独特な目と声が、初日からしてもう完全に“圭介”で、すごくよかったんですよ。福士くんって、“爽やかな好青年”みたいなイメージだったけど、あっちの顔も見せたほうがいいと思う」 福士「僕自身も初めて見る顔でした」 ■「自分でも、あんな目をしていたんだと驚いたくらい」(福士) ――圭介の虚ろでどう猛なあの目は、もともと福士さんの引き出しにあったものですか? 福士「なかったと思います。自分でも完成した作品を観た時に、あんな目をしていたんだと驚いたくらいです。大森監督から、『下向いて!その角度のまま、目だけ佳代を見て!』と演出を受け、戸惑いながら必死についていきました」 松本「へぇー、そうだったんだ! それであの目になるなんてすごいね。私、最初に現場であの目を見た時、小声でスタッフさんに囁きましたから。『福士くん、めっちゃいい!』って。でも、次の日から嫌いになった。カメラが回ってないところでもずっとそのままだったから(笑)」 福士「ハハハ(笑)」 ■「佳代の心情に近づくためには、ある種の極限状態を疑似体験する必要があったんです」(松本) ――松本さんは、佳代を演じるうえで「自分と向き合い続けて壊れそうになったこともあった」とコメントされていましたが、具体的にどんな状態だったんですか? 福士「本当にすごかったです。役者としての覚悟を感じました」 松本「圭介という存在を目の前にして、死を感じるほどの恐怖と、得も言われぬほどの欲望が同時に湧き起こっていく感覚というのは、ある種の極限状態なわけですよ。そんな佳代の心情に近づくためには、本当は甘えたいのに甘えられず、ともすれば、疑心暗鬼に陥ってしまうような状態を、自分から率先して生み出すことで、疑似体験する必要があったんです。だから、あの現場の最中に、誰かと一緒にご飯を食べに行くなんて、私は考えもしなかった」 福士「実は、僕と監督や浅野さんと食事に行っていたのですが、先程の会見で松本さんが驚かれていて (笑)」 松本「1か月以上、みんなで現地に滞在しながら撮影していたんですが、私だけ別の宿で隔離されたようなところにしてもらって、ずっと1人でいたんです。発散できる場所を一切作らなかったから、本当にはち切れる寸前の状態になっていました…。でも一方で、“答えが出ない”というその状態こそが、イコール佳代でもあるわけだから、“わからない”ストレスはありましたけど、『佳代と一緒だぞ、よしよし』とも思っていたんです」 ――つまり、極限状態ではありながら、俯瞰して客観視できている自分もいたということですね。そんな松本さんを目の当たりして、福士さんはどんなことを感じていたんですか? 松本「それは、私も気になるかも」 福士「悩んでいる、苦しんでいる松本さんを見れば見るほど、まさに“佳代”のようだと感じました。監督に相談してもはっきりした答えがもらえるわけではないので、ずっと堂々巡りをしているような状況だったんです。あの時の松本さんは、もう全身から“佳代らしさ”が溢れ出ていたような気がするんですよね。大森さんの演出下においては、皆そうなってしまうんだと思います」 ■「自分の意思では動いていないような感覚でした」(福士) ――役者の方にしかわからない、“役者の境地”みたいなものがあるのではないか、と勝手に想像してみたりもするのですが、お2人は演じながらどんなことを感じているのでしょう? 松本「そんな特別なものじゃないですよ。福士くんがどうだったかはわからないけれど」 福士「しいて言うなら、サウナや瞑想で感じるような、“ゾーンに入る感覚”に近いのかなと思います。あれを一度でも経験したことがある人なら、伝わるかもしれない。自分の意思では動いていないというか」 松本「確かに。身体が勝手に動くところまでもっていかないと、辿り着けない境地かもね。あとは、“全集中”!」 福士「ハハハ(笑)。“水の呼吸”ならぬ、“湖の呼吸”ですね!」 松本「そう!全集中する感覚っていうのは、なにかに夢中になることと同義だと思うんだけど、没頭しているとおのずと自我から解放されて、なにかに突き動かされているような不思議な感覚になるんです。きっと演技においてもそうなっている状態が、1番いいお芝居ができている気がしていて。もちろん作品のテイストや演じる役によっても、全然違うんですが」 ■「その場で生まれた感情に従ってお芝居をしていたように思います」(福士) ――『湖の女たち』は、お2人にとってどのような位置づけの作品になりましたか? 福士「僕はこれまでエンタテインメント性の高い作品に出演することが多かったですし、僕の原点でもある『仮面ライダー』のようなアクション作品のほうが得意で、そういうお芝居をしている自分も好きなんです。でも今回、その対極にあるかのような、『湖の女たち』の世界を知れたことで、自分で“潜る深さ”を調節できるようになったというか。より自由になった感覚があります。というのも、松本さんは、次にどんな動きをするのかまったく想像がつかないんです。それが今回の撮影のなかで、すごく刺激的でおもしろかった」 ――台本があっても、演じているお2人さえ、先の読めない瞬間があるということですね。 福士「セリフは決まっているけど、監督には『自分のタイミングで動いて』と演出していただいていたので、次に佳代がなにをしだすのかわからない。普通なら座りそうなタイミングで座らなかったり。僕はその動きを見て、その場で生まれた感情に従ってお芝居をしていたように思います」 松本「確かに、おもしろかった。あまりお芝居を固めてはいかないから、置かれた状況のなかで、『次に自分はどう動くのか自分の感覚を信頼してみよう』みたいな感じだったかもしれないです。実際にその場所に立った時、圭介の目を見たくなるのか。それともならないのか。お互いの腹のなかをリアルに探りながら、言葉を発することなく、『次どうする?』って。無言で駆け引きしているような感覚。静かでアツい攻防戦が繰り広げられていましたよね」 ■「監督から信頼されていると思えるからこそ、クリエイティブな状態でいられる」(松本) ――必ずしも“支配する側”“される側”という一方向の関係性だけではなくて、時にそれが逆転する瞬間すら、あったようにも見えました。 松本「そうですね。ただ単に、佳代が圭介に支配されるだけじゃなくて、むしろ佳代のほうから『支配してよ』って、圭介にけしかけるような場面っていうのもあったかもしれない」 福士「確かに圭介も、佳代に“支配させられて”いたのかもしれません。お芝居をするにあたっても、ただ言われた通りに動いてセリフを交わすだけでは、自分自身のクリエイティビティを十分に発揮できている状態とは言えないと思いますが、反対に、あまりにもなにも言われないと、『本当にこれでいいのかな』と、あたまで考えすぎてしまうようなところもあって…。要は、脳みそを通さずにただ動くという、大森監督が求める塩梅が本当に難しいんです。そういう意味では、あの時の僕にあの目ができたのも、あの状態の“佳代”が目の前にいてくれたから。もう二度と同じ目はできないのだと思います」 松本「役者のなかからおのずと出てきたものであれば、たとえどんな表現であったとしても、なにひとつ否定することなく、すべて受け入れてくださる。そういった(大森)立嗣さんの演出方法は、俳優やスタッフのポテンシャルを最大限まで引き出してくれる本当にすばらしいものだと思います。それって、おそらく誰にでもできるというわけでもなくて…。もともとそれを持っている人が、その境地にまでいたれる状態であるということが、すごく重要なんです。自分は監督から信頼されていると思えるからこそ、クリエイティブな状態でいられる。今回の現場では、私自身は身動きできないくらいずっとガッチガチの状態でいたんだけど、全部取っ払った、いまの状態の私と福士くんで、あのがんじがらめの2人をやったとしたら、いったいどんな佳代と圭介になるのかな…?って。ちょっと興味もあったりするんですよね」 福士「いまの僕と松本さんが、大森監督の下でもう一度『湖の女たち』を撮り直したとしたら、きっといまとはまた全然違う、圭介と佳代になると思います」 取材・文/渡邊玲子