中山秀征「生放送でオレを潰しにきている」…和解まで15年かかった今田耕司との“最悪な出会い”を語る
『ウチくる!?』『THE夜もヒッパレ』『TVおじゃマンボウ』など人気番組のMCとして活躍し、現在も情報番組『シューイチ』などで活躍する中山秀征(57)。 【写真】中山秀征が“天才”と称賛した飯島愛 安田講堂前でカメラマンに取り囲まれる その「因縁の相手」として知られるのが、1歳上の芸人、今田耕司(58)だ。 今や2人とも名司会者として定評があるが、若手時代には若気の至りとしか言いようがないエピソードも残している。1993年にスタートした『殿様のフェロモン』(フジテレビ系)でダブルMCとして共演を果たした際の緊張感は、いまだに語り草となっているのだ。番組に出演していた若手時代のナイナイ、よゐこ、極楽とんぼらが「この先どうなるのか……」と思い詰めるまでの空気になってしまったのだという。 なぜそこまでのピリピリ感が生まれてしまったのか。 中山がそのコミュニケーション術や仕事術、人生哲学を包み隠さず明かした著書『いばらない生き方 テレビタレントの仕事術』(新潮社)から、2人の“最悪の出会い”を見てみよう。 ※以下、同書より引用・再構成しました。 (全3回の第1回) ***
殺気を放つ今田耕司に“苦しさ”を感じていた中山秀征
生放送ならではの楽しさをMCとして初めて体感したのが「おじゃマンボウ」だとすると、同じころ、MCとして、生放送の“苦しさ”(怖さ? )も初めて体験しました。 その番組は、フジテレビ系で1993年10月からスタートしたバラエティ『殿様のフェロモン』です。 この番組で、僕とダブルMCを務めたのが今田耕司さん、今ちゃんです。今田さんといえば、テレビ界の誰もが認める“名司会者”。特に、漫才の頂点を決める年末の風物詩『M-1グランプリ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)や、大ベテランから若手まで大勢出演する『オールスター感謝祭』(TBS系)といった生放送の大型特番は、広い視野でスタジオ全体を見て、出演者に的確なパスを出す、今田さんの天下一品の回しのテクニックが最も発揮される場ではないでしょうか。 しかし、約30年前、初めて一緒に仕事をした時の彼は、どんなジャンルの共演者ともにこやかに場を盛り上げる今の姿からは想像もできないほど殺気を放ち、その目は“一点のみ”を見つめていました。その視線の先にいた僕が感じたのは……。 「この男は、生放送でオレを潰しにきている」 和解まで15年を要することになる今ちゃんとのファーストコンタクトは「最悪」でした。 「土曜の深夜に『オールナイトフジ』っぽいノリの番組をやりたいんだよね」 「殿フェロ」のプロデューサーからオファーを受けた時、僕は心の中でガッツポーズしました。『オールナイトフジ』といえば、とんねるずさんの人気に火を点け、女子大生ブームという社会現象を生んだ、80年代のフジテレビのスローガン「楽しくなければテレビじゃない」を象徴する番組です。 その流れを汲む番組のMCなんて、テレビっ子にとっては夢のような仕事。 生放送のスタジオで女の子たちとわいわいゲームをしたり、ちょっとお酒も飲んだり、当時若い世代にブームだったサーフィン情報も紹介したりする「楽しい番組」のイメージが膨らみ出演を快諾しました。 僕にとって、14本目のレギュラーとなる番組への出演は、こうして決まりました。 番組が始まる少し前、六本木で主要スタッフとキャストによる決起会が開かれ、そこで今田さんと初めて顔を合わせたのですが、どうにも様子がおかしい……。 今田さんは年齢こそ僕より1歳上ですが“同世代”です。親睦を深めようと、こちらからいろいろと話しかけても「あ、ハイ……」とつれない返事。ビールを注ごうとしても「結構です」と、グラスに口もつけない……。僕はこのあと水着パブでも一緒に行こうと思っていたのに(笑)、まったく“決起”できないまま会はお開きになりました。 「こんな感じで楽しい番組ができるのかな?」と少し不安を覚えましたが「まぁお互いプロだし、いざ始まれば、仲の良い“テイ”でやるのだろう」と、元来の楽観主義もあり、さほど気に留めず初回放送に臨んだのですが……。 迎えた生放送本番。今田さんの思いは、僕とは全く違うということがすぐに分かりました。スタジオはテンションこそ高いものの、ギスギスした緊張感に包まれ、楽しさとは程遠い雰囲気。 その理由は、ダブルMCの“噛み合わなさ”にありました。 今田さんは、僕のことを「ヒデちゃん」とは呼ばず、頑なに「中山クン」と呼び、こちらの“振り”には全く取り合わず、薄いリアクションを返すだけ。僕が10代の頃から学んできた、出演者全員で番組を盛り上げるという「テレビのルール」が一切通じない。 しかも、その振る舞いからは、こちらを潰しにきていることは明白でした。 驚き、戸惑うと同時に「念願だったフジの土曜深夜」が、自分の思い描いていた「楽しい生放送」とあまりにもかけ離れてしまったことに、徐々に怒りも湧いてきました。 ひな壇に目をやると、“若手芸人”の、ナイナイ(ナインティナイン)、よゐこ、極楽とんぼといった、後の「めちゃイケメンバー」たちが、何やら思いつめた表情をしています。「何が起きるのか……」「この先どうなるのか……」。 それぞれの思いが交錯するスタジオで、僕は、敬愛するプロレスラー・アントニオ猪木さんの顔を思い浮かべてひと呼吸した後、ややアゴを突き出し、心の中で、こう叫びました。「やってやろうじゃねぇかコノヤロー!」。 *** 中山が初めて本格的にMCを任されたのは、飯島直子、松本明子と共演した『DAISUKI!』(日本テレビ系)。「あんなのテレビじゃない」とか「テレビで遊んでるだけ」という批判を受けながらも番組が成功したのは、共演者が全力で楽しみ、その雰囲気を伝えられたからだと中山は振り返る。 そんな中山のスタイルに真っ向から反発する今田との共演は、番組の打ち切りによりわずか半年で終了した。 それから長い間2人は個人的な交流を持たなかったが、15年後に突然、今田が中山を呼び出して当時の心境を明かしたという。最悪の出会いを果たした彼らが年月を経て“ヒデちゃん”“今ちゃん”と呼び合えるようになったのも、この番組での真剣勝負があってこそだったのかもしれない。 今田は何を考えていたのかは、第2回記事(「今さら何だ?」最悪の出会いから15年後に今田耕司が中山秀征を呼び出し…明かされた当時の心境とは)に詳しい。 Book Bang編集部 新潮社
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