《川崎宗則の巻》代名詞になった「チェスト!」誕生秘話…初披露で客はドカンと盛り上がり選手たちも大笑い【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】
【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】#24 川崎宗則 ◇ ◇ ◇ ❤SEXYすぎるっ!!!❤ SB栗原の妻は雑誌でも大活躍のグラドル! 「チェスト!」の掛け声が合言葉のムネリンこと遊撃手の川崎宗則(43)。ファンの間では有名な話ですが、入団当時は守備がひどく、本人も実家に電話して「もう無理、この世界」と愚痴っていたくらい、周囲との差を実感していました。 グラブの手入れなどもぐちゃぐちゃで、スタッフから「いっちゃん、おまえのグラブ、川崎にやってよ」と言われ、「いや、グラブやったら俺どうやってキャッチボールすんねん」と、僕らの間でも話題になっていたほどです。それでも打撃には光るものがあったので、首脳陣も辛抱しながら起用していました。 転機となったのは2003年。オープン戦で現監督の三塁手・小久保裕紀が右膝の前十字靱帯を断裂するなどの大ケガ。そこで川崎が遊撃手兼三塁手として抜擢され、この年は前年の36試合から、133試合と大幅に出場機会が増えたのです。もし、小久保がケガをしていなかったら、川崎は果たしてチャンスを掴めていたかどうか……。 ただ、井口資仁は川崎が二軍時代から注目していたそうです。ある時、井口の元にテレビ局から「100メートルの元日本記録保持者、井上悟にベースランニングで挑戦」という企画が持ち込まれました。井口自身は嫌というわけではありませんでしたが、練習で忙しい。そこで井口が「二軍で活躍している若手がいるんですけど、そいつでどうですか?」と自らの代役として名前を出したのが川崎でした。 一軍の試合に出場するようになってからは、課題の守備もめきめきと上達。中でも4-6-3の併殺で、二塁手からトスを受け、一塁に投げる時のボールの持ち替えが異常なくらい速かった。これはもう、血のにじむような練習のたまものと言っても過言ではありません。 代名詞の「チェスト」誕生にはこんな秘話もあります。なかなか試合で勝てず、チーム全体が暗い雰囲気に包まれていた時期、たまたま川崎がヒーローインタビューを受けることになった。元々明るい性格だったので、僕は川崎に「ムネさあ、いまチーム暗いじゃん? ちょっと何か盛り上げてよ」と言ったところ、そこで初めて披露したのが、故郷の鹿児島弁に由来する「チェスト!」です。これにはお客さんもドカンと盛り上がり、選手も大笑い。川崎がこの「チェスト」を即興で考えたのか、どこかでやろうと温めていたのかはわかりませんが、川崎が嫌な雰囲気を振り払ったのは確かです。 メジャーでも成績こそは残せませんでしたが、持ち前のコミュニケーション能力で愛された。非常に稀有な選手でしょう。 (田尻一郎/元ソフトバンクホークス広報)