アテもなく口にした強がり、増えた愚痴や文句のメール 夢破れた海外挑戦で学んだ“教訓”【インタビュー】
「偉そうに『海外行ってくる』って言ったのに……。チームも決まらず、帰国するのがすごく嫌でした」
今から15年前、まだわずかな日本人しかプレーしていなかった欧州のサッカー界に果敢に挑んだ1人の男がいる。ジュビロ磐田、ベガルダ仙台でプレーした太田吉彰氏。2009年7月に磐田を退団し、海外でのプレーを夢見て単身、海を渡った。だが、待ち受けていた現実は残酷なものだった。激動の5か月間で受けられた入団テストは3クラブだけ。夢破れて、移籍先が決まらぬまま、日本への帰国を余儀なくされた。(取材・文=福谷佑介) 【写真】「海外行ってくる」からまさかの帰国...面影変わらぬ太田吉彰氏の現在の姿 ◇ ◇ ◇ ベルギーのKVメヘレンの入団テストで不合格となった太田氏はすぐにシェンゲン圏外のイギリスへと戻った。そのままヨーロッパに留まることも考えたが、それはルール上、絶対に不可能。「すごくイライラして、(関係者と)大喧嘩しながらイギリスに帰りましたね」。シェンゲン圏内に滞在できる日数はあと1日しか残っておらず、他のクラブのテストを受けることは不可能だった。日本に帰るしか選択肢は残っておらず、気持ちの整理もつかないまま、海外移籍は諦めざるを得なかった。 欧州滞在の終盤は精神的にもだいぶ参っていた、と言う。「今はこうやって話せますけど、当時は精神的にすり減っていて相当キツかったです。自分が情けなかったですし、周りのせいにしたくなることもあったし……。自分が卑屈な感じになっていて、あの時の自分って本当に最悪だったと思います。人に会いたくない、会ったところでどうするんだ、と」。あると信じて疑わなかった移籍先。連絡をくれる友人、知人にも「もうすぐ決まるよ」と言って強がった。ただ、突きつけられた現実は残酷だった。月日が経つにつれ、日本に送るメールにも愚痴や文句が増えていっていた。 イギリスから一度、ドイツを経由し、お世話になった人たちに日本への帰国の報告と挨拶を済ませた。「どこもチームもなく、日本に帰ってからのチームのアテもない状況で……。ダメだったなっていうのと、恥ずかしさもありましたね。磐田のサポーターの前で喋ったのも覚えていますし、偉そうに『海外行ってくる』って言ったのに……。チームも決まらず、帰りたくないなって、帰国するのがすごく嫌でした」。息巻いて出ていったにも関わらず、結果的に挑戦は失敗。帰国後にプレーするアテもないまま、日本行きの飛行機に乗り込んだ。 約5か月ぶりに降り立った日本。まず感じたのは、なぜか“安堵感”だった。成田空港に着き、自宅に帰るために電車に乗った。そこで耳に入ってきたのは乗客たちの他愛のない会話。「言葉が全部分かる安心感がすごくて……。周りで話している人の会話を全部聞き取れて、すごく嬉しかった記憶があります」。英語、ドイツ語、フランス語、オランダ語……。5か月間、ほとんど分からない言語に囲まれて過ごしてきた。言葉の重要性、コミュニケーションを取れる有難さ……。ずっと日本にいたら、感じることのできない感覚だった。