俳優・西田敏行さん 「池中玄太80キロ」の玄太そのままに…本気で人に寄り添い伴走 眠ったまま苦しまず穏やかに旅立ったかと
【ドクター和のニッポン臨終図巻】 好きだとか嫌いだとか、意識したことのない役者さんでした。意識する暇もないほど多くの作品に出ていたし、どれも素晴らしい演技でした。しかし突然の訃報を聞いて、今とても寂しいです。そうか、僕はこのひとが大好きだった。亡くなってから、ファンだったと気が付くことがあるのですね。 【写真】優しい笑顔を見せる西田さんの遺影が置かれた祭壇 俳優の西田敏行さん。10月17日に東京都内のご自宅で急逝されました。享年76。その翌日、死因は「虚血性心疾患」であると所属事務所が発表されています。 ひとりのときに逝かせてしまったと家族が大変嘆いているとの報道も拝見しましたが、おそらく眠ったままで苦しまず穏やかに旅立ったこととお見受けします。 その偉大な功績は、すでに多くのメディアで紹介されていますから、僕は少し別の角度から西田さんのことをここに書きます。 西田敏行さんはいつも、弱い立場の側に立って、一緒に怒ってくれる人でした。郡山市出身の西田さんは、2011年の東日本大震災の後は、故郷の福島県に定期的に通い被災者と一緒に怒り、支援を続けておられました。 「泣きたいときは、思い切り泣いていいんだよ。泣いた後に笑えるから」と発信。また、福島県産の野菜が汚染しているなどの原発事故後の風評被害に対しては、自ら地元のスーパーに足を運び野菜を購入し食べていました。 「福島を汚したのは誰だ。本当に腹が立つ」と政府やメディアに、本気で怒っていました。 また20年3月、コロナで舞台や映画などが自粛要請などで止められてしまったときは、西田さんは日本俳優連合の理事長として、当時の安倍晋三首相や厚労相らに、「働き手支援についての緊急要請」とする要望書を提出し、エンターテインメントを止めないことに必死でした。 さらに22年11月には、俳優たちの権利を守ろうと、インボイス制度の延期を要望する声明を発表されています。 芸能界は、スポンサーありきのお仕事です。だから政府やメディアに異を唱えるような発言は、周囲から止められてしまいます。お上にお利口さんにしていないと、仕事を干されるわけです(製薬メーカーが背景にいる偉いお医者さんたちも似たようなものですが)。 だけど西田敏行さんは違いました。自分の立場など考えず、『池中玄太80キロ』の玄太そのままに、困っている人がいたら本気になって寄り添える人でした。