能登の高校生が宮城県で復興の道のりを学ぶ 輪島朝市復興のヒントを探す
khb東日本放送
能登半島地震で被災した、石川県の輪島高校の生徒が宮城県を訪れました。復興のヒントを探す高校生が、津波被害を受けた街や活気を取り戻した朝市から学びました。 【写真】東日本大震災の教訓を学ぶ
石川県の輪島高校の生徒13人が、バスで10時間以上かけて宮城県石巻市を訪れました。 語り部ガイド三條すみゑさん「1月の石川県の地震を見た時にすごくショックでした。全国でテレビでこのように映っていたんだろうなと、私たちの所も」 東日本大震災の被災地で人々の話を聞き、復興までの道のりを知ってもらおうと輪島高校の校長が企画した東北復興研修は、児童と教職員84人が犠牲になった震災遺構大川小学校で教訓を学びます。 語り部ガイド三條すみゑさん「川の方がはやかったんですね津波の威力が。それも5つの集落をのみ込み、10万本の松の木をのみ込んで襲ってきました。ここは大丈夫は絶対にないですからね。必ず逃げてください」 語り部ガイドの三條すみゑさんは、当時高校生だった三男を津波で亡くしました。 語り部ガイド三條すみゑさん「津波警報が出ているから逃げろよ、と。だから逃げている最中に亡くなったんだと思っていました。違うんですね。私の帰りを待っていたんですよ。逃げろよの後に、おっかあも今そっちに向かっているからなを付けてしまいました。だから逃げずに待っていたんです。自分が息子を殺したんだと思いました。でも息子は帰って来ないんですよ。こんなことは二度とあってほしくないです」 輪島高校の生徒「話を聞いて、悲しいことしかないし胸が苦しい」 2年生の宮腰大地さんは能登半島地震で自宅が全壊し仮設住宅で暮らしていましたが、9月の大雨で被害を受け祖母の家に身を寄せています。 震災で大きな被害を受けた街は、どのように復興への道のりを歩んだのか。 女川町観光協会今野雅彦さん「ここの底地が元々の街の地盤でした。ここから更に高くかさ盛りして、新しい街を造成したということが分かります」 最大14.8メートルの津波が襲い住宅の9割近くが被害を受けた女川町では、若い世代が率先して行動を起こした結果、新しい街へと生まれ変わりました。 女川町観光協会今野雅彦さん「街づくりには時間がかかる。だからその計画や企画活動の中心は、10年20年後の責任世代である30代から40代の若者に託していこうじゃないかと」 輪島高校2年宮腰大地さん「輪島と通ずるところと言えば、海と街がすごく近いって感じがして。海風というか潮の匂いがしてきたので、海をちゃんと感じられながらもすごくいい感じのきれいな街っていうところがいいなと思いました」 2年生の馬場広和さんは、学校の授業で行っているプロジェクトで輪島朝市の復興に向けて取り組んでいます。 輪島高校2年馬場広和さん「朝市を復興するのにどうしたらいいんだろうって考えていた時に、ゆりあげ朝市のことを見られると思ったので、そこ見たら復興に何かアイディアが思いつくのかなって思って参加しました」 能登半島地震で発生した輪島朝市の大規模火災では、住宅や店舗の大半が焼け朝市はまだ復興のめどが立っていません。 東日本震災の津波で壊滅的な被害を受けた名取市のゆりあげ港朝市は、能登朝市を支援しようと発災後すぐに募金活動を始めて、集まった義援金を2月に輪島朝市に届けました。 生徒たちは、ゆりあげ港朝市代表理事の櫻井広行さんの話に耳を傾けました。 ゆりあげ港朝市協同組合櫻井広行さん「実は朝市、全部何もなくなっちゃったんでこれはもうどうしようもないなと、もうやめるしかないなと私個人的には思っていたんで」 当初は諦めかけた朝市の復活でしたが、復興へ向けて立ち上がろうと震災からわずか2週間後に近くのショッピングセンター駐車場で1日限定の朝市を開催しました。毎週日曜日に営業を続け、震災から約2年2カ月後に元の場所で再開しました。 ゆりあげ港朝市協同組合櫻井広行さん「この場所でなくちゃいけなかったのかな。やってよかったと思います。一歩一歩踏み出さなくちゃいけないと常に考えていましたので、間違いじゃなかったと思っております」 現在は震災前とほぼ同じ約50店舗が並び、来客数も1.5倍に増え活気を取り戻しました。馬場さんは、朝市の建物に着目して復興のヒントを探します。 輪島高校2年馬場広和さん「輪島朝市で何か建物を建てたらいいのかなって思っていたんですけど、そこでデザインだったりどういう建物にしたらいんだろうっていうので悩んでいて。今までの輪島朝市だと外でやっているって感じだったけど、ゆりあげ朝市みたいに建物の中にある朝市っていうのもいいかと思いましたし、それを輪島朝市でもしやるんだったらどうしていこうかと今後も考えるアイディアみたいなものがいっぱい増えました」 ゆりあげ港朝市櫻井広行代表理事「にぎわいをつくるためにどうするかっていうことは、色々な所で市場とかを見て歩きました。復興は大人が決めることではないです。そこに住んでいる子どもたちお年寄りたち全員含めた形で、街でお話していただければいいかなと思います」 東日本大震災の被災地を訪れ復興への道のりを学んだ輪島高校の生徒たちは、自分に何ができるのかを考え輪島の復興への思いを強くしました。
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