違いは「ツイン」テールライト フェラーリ250 GT ルッソ 娘が継いだプロトタイプ(2)
発表は1962年のパリ・モーターショー
フェラーリ250 GT ルッソのホイールベースは、2400mm。シャシーの技術的には近い250 GTEは2600mmだが、ショートホイールベース仕様や250 GTOと同値だった。 【写真】娘が継いだプロトタイプ 250 GT ルッソ 同時期のフェラーリ 365 GTB/4「デイトナ」も (146枚) 3.0L V型12気筒のティーポ168エンジンには、3基のウェーバー・キャブレターが載り、最高出力は253ps。トランスミッションはオールシンクロの4速マニュアルで、ブレーキはダンロップ社製のディスクが組まれている。 リアサスペンションは、リジットアクスル。だが250 GTOと同様に、横方向のワットリンケージで安定性を高めた。 発表されたのは、1962年のフランス・パリ・モーターショー。当時のフェラーリの資料では、「最高の快適性と安全性で、非常に高い最高速度と巡航速度を可能とするグランドツーリング・クーペ」だと、250 GT ルッソを紹介している。 もちろんフェラーリは、当時もモータースポーツで広く活躍していた。ルッソのシャシーは、国際クラスのサーキットレースやラリーで得た技術的な教訓が活かされている、とも主張された。広い車内空間や、エレガントなインテリアと一緒に。 バラバラ状態のフェラーリの購入をスティーブン・ピルキントン氏が決めた時、保管されていたのはアメリカだった。「以前のオーナーは、レストアする計画だったようですが、最後までそのままでした」。と彼の娘、スージー・ピルキントン氏が説明する。
特徴はツイン・テールライト
グレートブリテン島へ運ばれてきた、フェラーリのシャシー番号は4053GT。2台が作られたプロトタイプの1台だった。1962年のパリでお披露目された250 GT ルッソそのもので、パンフレットや広告にも利用されている。 スティーブンは、購入時にその可能性を知っていた。しかし、いくつかの情報が交錯し、定かではなかった。そこで研究熱心なスージーは、真実を明らかにするため情報集めに乗り出したそうだ。 フェラーリの製造記録によると、シャシー番号4053GTは1962年9月にラインオフ。グリージョと呼ばれるシルバーの塗装に、ペッレネラというブラックのレザー内装で仕立てられていた。量産仕様とは異なる、ツイン・テールライトが特徴だった。 1962年10月4日から14日まで開催されたパリ・モーターショーの写真には、このディティールを備える250 GT ルッソが映っている。もう1台、シャシー番号3849GTは先に製造が始まっていたが、完成したのはなぜか10月中旬だった。 この3849GTは、イエローのジャッロ・ソラーレで塗装。10月31日から開催された、イタリア・トリノ・モーターショーへ出展された。同じくツイン・テールライトだったが、ボディカラーとラインオフの時期から、これらは間違いない情報だと考えられる。 フランスのフェラーリ研究家、アントワーヌ・プルネ氏とジェス・プーレ氏も、パリに展示された個体はシャシー番号4053GTで間違いないと考えている。1962年12月に250 GT ルッソを扱ったフランスのディーラーで、プーレは営業部長を努めていたのだ。