なぜ軽自動車は選ばれるのか 「軽トラック」がじわじわ広がっている理由
日本の自動車業界は、現在のところほとんどの利益を輸出で稼いでいる。国内需要がないわけではない。しかし、しぼんでいく市場の中で投資には限界がある。それゆえ、利益率の低い商品となり、ユーザーにとっては値引きなどの駆け引きも難しくなっている。 【画像】人気の「軽トラ」を見る(6枚) もっとも、コロナ禍や半導体不足を経て、納車が半年から1~2年も待たされるようになった今では、国内の乗用車販売は値引きよりも納期が優先される商談に変化している。 そのため以前よりも利益率は高くなっている印象だが、実際の収益はディーラーによってさまざまだ。自動車メーカーは空前の利益を出しているが、競争が激しいエリアではディーラーは厳しい。 コストパフォーマンス重視のユーザーは、とっくに普通車を見限り、軽自動車へとシフトしている。軽自動車は普通車とは異なり、自動車税や重量税などの税制面で依然として大きな優遇措置があり、近年は装備も普通車並みで快適なクルマがそろっている。 そもそも軽自動車が誕生したのは、クルマが高価で庶民には手が届かない存在だという問題への対策だった。
軽自動車は日本の“国民車構想”から誕生
戦後の復興によって先進国、なかでも敗戦国ではまず簡素な構造のミニカーが作られ始めた。それらは小さく質素で、乗員数や荷物の積載能力も乏しいものだった。 そこで国民車構想が掲げられ、ドイツではフォルクスワーゲンがビートルを、イタリアではフィアットがチンクエチェント(500)を、英国ではBMCがミニを開発、生産。世にクルマを広めていく。 日本では小規模なメーカーやこれから自動車の生産を始める企業に対し、軽自動車の規格を当時の通産省が定め、四輪車製造への道筋を作る。そしてバイクメーカーだったスズキがスズライトを発売したが、価格は45万円。当時の庶民にはまだ高く、富士重工業(現スバル)がスバル360を36万円で発売し、ようやく多くの人に届けられるようになっていった。 大卒の初任給が1万円だった時代に36万円だった軽自動車は、現在の価値に換算すると800万円近くとなる。それくらいクルマを所有するのは大変で庶民の憧れだった、ということだ。 そこから経済成長と連動して軽自動車は手に入れやすくなっていく。スズキがアルトを46万円で発売した頃には、大卒の初任給は10万円程度まで上昇していた。 となれば、初任給の4カ月分で手に入るのだから、軽自動車でなくても分割払いで普通車や輸入車を手に入れようとする人も増えていく。そうやって軽自動車が手に入りやすい存在になっていく一方で、普通車も大衆の足として普及していく。 軽自動車が完全に普及すると、需要は地方の通勤用、近所の買い物用といった用途で使われる、いわば都市部での自転車に近いものになった。そんな実用一辺倒の乗り物から、軽自動車を魅力あるものに変えたのが、1993年に登場したスズキのワゴンRだろう。 それまでは軽バンの乗用車仕様しか用意されていなかった軽自動車に、室内は狭くなるもののあえてボンネットを与え、ミニバン的なスタイリングとすることで、遊び心を感じさせるイメージで大ヒットとなったのだ。これによって後にハイトワゴン(車高が高いワゴン車のこと)という新たなカテゴリーを作り上げるのである。