「子役時代の輝きを失っていた」大物俳優との再会が転機に…真田広之63歳がアメリカで快挙を成し遂げるまで〈『SHOGUN 将軍』エミー賞18冠〉
アメリカのテレビ界最高の栄誉とされる第76回エミー賞が先月15日に発表され、有料テレビチャンネル・FXの制作で、真田広之(63歳)が主演とプロデューサーを務めたドラマシリーズ『SHOGUN 将軍』がドラマ部門の作品賞のほか18の賞を受賞した。 【かわいい】凛々しい目元がそのまま…真田広之の子役時代 今回のエミー賞で個人としても主演男優賞を受賞した真田は、映画『ラスト サムライ』(2003年)への出演を機に渡米し、ロサンゼルスを拠点に活動を続けてきた。ただ、彼が海外進出を志したのはもっと前である。
海外進出を“使命”と考えていた
いまから31年前、大ヒットドラマ『高校教師』で教え子と禁断の恋に落ちる教師を演じた1993年、32歳のときのインタビューではすでに《これからは、海外進出を夢としてではなく、使命として、世界に認められるランクのものを作っていかなければならないんだという気持ちが強く起こってきていて、いまはそれに向けての準備期間で、もっと冒険的でありたい。守りじゃなくて。男優というのは、やっぱり四十、五十、六十なんだと、諸先輩方を見ていて思いますのでね(笑)》と語っていた(『週刊文春』1993年3月4日号)。 このとき真田は映画『僕らはみんな生きている』のロケで海外に長らく滞在するなかで、《日本の経済は伸びているけれども、文化は立ち後れているんじゃないか。ましてや、映画界は、アジアの中でも、韓国や香港に追い越されている。質もそうだし、マーケットも含めてね》と感じたという(同上)。その危機感が真田に、海外進出を夢ではなく使命として考えさせたのだ。
海外俳優たちとの共演が転機に
最初に海外を意識したのはさらにさかのぼる。17歳のときに主演した深作欣二監督の映画『宇宙からのメッセージ』(1978年)で、ハリウッドやブロードウェイから招いた俳優たちと共演したことがきっかけだった。彼はのちに次のように語っている。 《若いアメリカの俳優たちといろんな時間をシェアするうちに、向こうの俳優のレベルの高さや層の厚さを垣間見た。食事の合間に片言の英語で必死に質問するんですが、彼らは俳優としての訓練が徹底的になされていた。そのときのコミュニケーションをとれないもどかしさがバネになりましたね。海外の監督や世界の一線で活躍している俳優たちと対等に向き合いたい、そのためには今の自分に何が足りないのかと考え始めました》(『婦人公論』2007年7月22日号) これをきっかけとして、20歳ぐらいからは毎年ニューヨークやロンドンに通い、演劇や音楽、映画に触れ、トップと呼ばれる人たちがどんな表現をしているかを知ることで、自身に宿題を課すようになった。
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