ハン・ガン、彼女に痛みがなかったならば【コラム】
10日夜、ハン・ガン(韓江)さんがノーベル文学賞を受賞したという知らせを聞き、4年前に読んだ小説『菜食主義者』を思い出しました。正確には、その本の最後に出てくる作家の言葉でした。 「『菜食主義者』と『蒙古斑』はパソコンの代わりに手で書いた。指の関節が痛かったからだ。背が高く澄んだ目をした女子学生のYがタイピングのアルバイトをしてくれた」。ところが、手で文章を書けるときはまだましだったことをすぐに思い知らされたといいます。白紙1枚を埋める前に手首が痛くて続けられなくなり、もう書く手段が何もなくなったと。それでも彼女は、2年近い自暴自棄の時間を過ごした末に、「ボールペンを逆さに握ってキーボードを打つことができる」ことを思いつき、自力で『木の花火』を書いたといいます。 ハン・ガンさんが長編小説『菜食主義者』を構成する「苦痛3部作」である「菜食主義者」「蒙古斑」「木の花火」を書き始めたのは2002年冬。彼女は32歳でした。指と手首が順に使えなくなり、ボールペンのふたでキーボードを打って小説を完成させた30代の作家とは。苦痛を受けたのは、肉食を強要されて木になることを願ったヨンヘだけではなかったんだ、と思いました。 幸いなことにハン・ガンさんは、2007年からは「ノートパソコンのキーボードを10本の指で打ちながら書いている」とのことですが、その後に書かれた作品を読むときも、私ははらはらしていました。小説『別れを告げない』が特にそうでした。「他の誰でもない私の体が刻々と作り出す拷問の瞬間に、私は閉じ込められる。痛みが始まるまでの時間から、痛みのない世界から、切り離される」という主人公のキョンハの生々しい苦痛の証言は、彼女の告白のようでした。 キョンハのようにハン・ガンさんも、10代のときからひどい偏頭痛に苦しめられました。彼女は2017年、英国のガーディアンとのインタビューで「偏頭痛が来ると、仕事や読書、日常を止めなければならないので、常に謙虚になり、私が人間的で脆弱な存在だということに気づかされる」と言いました。私が読んだ一遍の小説が完成するまで、彼女は何度書いては止めるのを繰り返しただろうか。他に痛むところはないだろうかと心配しました。 よく知りもしない作家の健康を気にしてきたのには、個人的な理由があります。30代のころに苦痛を経た彼女の文章を初めて読んだとき、私も同じく30代で、苦痛を負っていたからです。ノートブックでの作業はもちろん、日常生活においても全身の関節に痛みがあり、仕事を休まねばなりませんでした。まだやりたいことが多かったからこそよりつらかったのかもしれません。無気力さと不安で混乱した私にとって、そのような時期を過ごしてきた作家の淡々とした経験談は励みになりました。彼女の作品を読みながら1年の時間を乗り越え、再び仕事ができるようになりました。 ハン・ガンさんは、作品の根源は自分の痛みのある体だと言っています。ハン・ガンさんは「私が100%元気で活力があふれていたのであれば、作家になれなかったかもしれない」とまで言います。弱い体だからこそ、弱い存在の痛みに敏感で、その痛みを知らないふりはできないという意味だと、私は理解しました。弱いものたちに対する深い共感がなかったら、彼女はほぼ毎日泣き出すような「圧倒的な痛み」の中で『少年が来る』と『別れを告げない』を完成させることができたでしょうか。実際、彼女は「そんなふうに、(苦しくても)書かなければさらにつらくなるので、やむをえず書く。…それが私の人生を支える力」(2017年全南大学のトークイベント)だと言い、目を背けるよりも記録することの方が苦痛においてはまだましだとも述べています。 他人の苦痛を文章で伝えることの方がまだましだとは言うものの、その過程は苦行のようなものです。2011年に41歳のハン・ガンさんは、執筆期間には「歩くことも食べることもできず、最も受動的な姿勢で」(散文『記憶の外側』)文章を書くと語っています。 幸い、それから11年が過ぎた2022年には「(小説を書くときには)ストレッチと筋力運動とウォーキングを1日2時間ずつ行う」(散文『出版後に』)という近況を伝えてくれました。「また机の前に長く座れるように」自身の体をケアしているという嬉しい話でした。最近は健康を考え、コーヒーをはじめすべてのカフェインを断ったともいいます。作家の黄金期という60歳まで3冊の本を書くことに没頭し、「同時に日常の生活を落ち着いてケアするバランスを取りたい」というハン・ガンさんの願いが叶いますように。 ソ・ボミ|ニューコンテンツ部長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )