村上春樹『風の歌を聴け』が描く戦後日本の虚無感 「日本的なるもの」の喪失を描いた透明な文学
だから、この捕虜収容所のなかで、初めて人間として生きていくことが許された空間として、「村上春樹という空間」を与えられたように思うんです。だから初恋なんですよ。でも、そこにあるのは「気分」だけですから、そこにずっといることはできない。初恋は初恋であって、本当の恋愛じゃない。 だから僕は、そこで「生き方」というものを学んだ後、この小さな部屋、村上春樹という小さな部屋から少しずつ出て行って、この世界に対するデタッチメントからコミットメントへと移っていく。つまり、大学の教授やったり、参与をやったり増税反対運動をやったりしながらこの世界に戻ってきているっていう感じがします。それが僕と村上春樹の関係なんですね。
浜崎:なるほど、藤井先生の青春には、「春樹の部屋」が必要だったということですね。 ■80年代でありながら「今」っぽさがある世界観 柴山:僕は、学生のときに村上春樹の『ねじまき鳥』が話題になっていて、読んでみたんですけどぴんとこなくて、以後、読まずに通り過ぎてきました。先ほどの話でいうと、クラスで人気の女の子に対して「俺はなびかないぞ」みたいな感じだった(笑)。でも、今回初めてじっくり読んでみて、印象が変わりましたね。
まず、すごく凝った作りになっていますよね。村上龍が無意識に物語を走らせているタイプだとすると、村上春樹はとても作為的というか、この作品も何度も書き直してこうなったんだろうと思えて仕方ない。そうやって独特の世界観を構築しているんだと思います。ここで描かれている世界は現実離れしているんだけど、妙にリアリティがある。現実であって現実ではない、「亜現実」みたいなものを言葉の力で作っているという印象です。これはすごいなと思いました。
柴山:もう一つ思ったのは、急に世界が変わったなということ。この座談会では太宰から時代順に読んできましたが、見えてくる風景がどこか古いというか、今と違うところがあった。開高健を読んだときにはずいぶん古くさいなと感じたんですが、村上春樹で急に新しくなったというか、いきなり現代になったという感じがします。固定電話使ってたらいきなりiPhoneが出てきたみたいな感じで(笑)、たぶん今の若者が読んでもこれは「今」だっていう感じがするんじゃないかな。