未来想起させるのは革新性 住宅と生活の進化提案 ミサワホーム常務執行役員 桜沢雅樹氏 万博未来考 第3部 番外編
ミサワホームは1970(昭和45)年大阪万博で、「ヘリコ」と呼ばれる新型住宅を休憩所として提供した。高さ16メートルのタワーにブロック状の住宅を取りつける構造で、トレーラーなどで運び込めてわずか数日で完成する。ヘリコとはエスペラント語で「カタツムリ」という意味で、その様子がまるで樹木に取りついたカタツムリのようなことから命名された。アニメの宇宙基地のような形状で、来場者を驚かせただろう。 ミサワホームはなぜ、ヘリコの開発を決めたのか。背景には、戦後の復興期であった日本国内で、住宅が圧倒的に不足していた事実がある。多くの国民にとり、住宅の購入は困難だった。わが社はいかに廉価に、そして迅速に、高品質な住宅を建設できるかという点に注力していた。 万博開催前の昭和44年に、独自技術の木質パネル接着工法による「ホームコア」という住宅商品の販売を開始した。当時の平均的な国民所得(月収5万円)で入手できることや、高度なプレハブ工法により世界に通じる商品とすることなどを目標に開発が進められた。ホームコアの技術を応用して、大型パネルによるボックスを製作して開発したのが「ヘリコ」だった。 世界中から注目される大規模イベントである大阪万博への出展は、未来志向の住宅の提案を通じ、社会に技術力と革新性をアピールしようとしていたわが社にとり絶好のチャンスだった。ヘリコはパネル同士を接着し、一体的な構造をつくる新工法を採用していた。斬新性が万博のテーマである「未来」に合致していたことから、出展者として選ばれたのだと聞いている。 出展の要請が来たのは、開幕までかなり差し迫ったタイミングだったという。しかし、時間的な制約があっても、これまで目指してきたものを万博の場でも追求していくべきだという結論に至り、事業を行う方針を決めた。 実はヘリコを巡っては、万博開幕前年の44年2月に、住宅部分をヘリコプターで空輸する実験まで行っていた。建設スピードをさらに速める可能性を探っていたためだ。空輸実験自体は成功し、構造物の強度を証明することができたが、最終的に行政側の許可を得ることはできず、万博でもヘリで運び込むことはなかった。 万博でヘリコを提供できたことは、非常に貴重な経験となった。42年の会社設立からまもない時期に、ブランドイメージの向上に大きく寄与したからだ。その後の技術、商品開発にもつながった。