未だに数多く残る盛岡市「仁王」の地名の由来 住職が語る仁王像と観音像にまつわる歴史 岩手県
岩手めんこいテレビ
岩手県盛岡市「仁王」は旧町名ながら、上盛岡駅の南側から中央通の付近には、未だに「仁王」の名を残す場所がたくさんある。 長年にわたり県内各地の地名について調査し、著書も手掛けている奥州市出身の宍戸敦さんと盛岡市「仁王」の由来を探る。 宍戸さんによると「かつて仁王小路と言われていた地域は、現在は中央通2丁目や3丁目になっているが、このエリアは『仁王』と呼んでいた」という。 Q:「仁王」という漢字から由来は「仁王像」なのか? 宍戸敦さん 「その通り。ここはあくまでも現在は『岩手山神社』になっているが、このエリアに仁王像があったということが地名の由来になっている」 その仁王像は現在、盛岡市玉山の「東楽寺」にあるという。 「東楽寺」には境内の収蔵庫に14体もの仏像が収められている。 以前、仁王の地にあったとされる阿形と吽形の仁王像と、中央には当時の寺の観音像が鎮座している。 東楽寺 住職 阿部東龍さん 「推論でしかないが、仁王の地から『東楽寺』に来たという経緯は、現玉山に『西副院』という寺があった。『西副院』は姫神山を中心とした『山岳信仰』の寺で結構、力がある寺だった。『西副院』が(現・盛岡市中央通の)仁王の地に仁王像をまつった。仁王の地に武家屋敷が建てられるので『西副院』が仁王像と観音像を玉山に戻した」 平安時代後期ごろから仁王の地にあったとされる仁王像と観音像。 江戸時代後期、仁王に武家屋敷ができるということで、玉山にあった「西副院」という寺が玉山の地に像を戻した。 しかし、戻された仁王像と観音像は、長い間雨ざらしにされ傷んでしまった。 これを嘆いた当時の住職が村の人々と協力して、現在の「東楽寺」に移したとされている。 宍戸敦さん 「当時の世情を考えると、地域の人たちは、観音様を心のよりどころにしてたと思うが、どのようにお考えでしょうか」 東楽寺 住職 阿部東龍さん 「この阿吽(あうん)は生と死という意味で、現象的なものにとらわれた見方をしてはいけない、もっと深いとらえ方があるということ。この観音様に持っていくための一つの表現方法。セットになっているから(仁王という地名が)いまだに残っている理由は、後世まで伝わりますようにという願いが込められていたと考えている」 仁王像と観音像があったという歴史が未だに「仁王」という旧地名として、この地域に残されている。
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