戦禍を避けて…日本で美女レイヤーと話題「ウクライナでは大学院まで理系、オタサーの姫でした(笑)」
母親はまだオデッサに
――なぜ日本だったんでしょう。 アニャさん オタク文化が好きなのもありますが、日本は地震の研究も進んでいて建築のレベルは非常に高いんです。戦争が終わった後、強いインフラを作ることが予期されていて、それを思うと日本の大学で勉強するのはいい機会なんじゃないかなと思いました。去年大学を離れて、今は働いています。 ――ご家族は今もオデッサに? アニャさん 母親はまだオデッサにいるんですけど、姉はヨーロッパで仕事をしています。 ――心配ですよね。実際に日本へ来るのは大変でしたか? アニャさん オデッサから日本への飛行機は戦争のため運航できなかったので、私は25時間かけて約950キロの距離を電車で移動し、ポーランドに到着してからそこから日本へ飛行機で行く必要がありました。留学プログラムではあったものの、ビザの発行に時間がかかり、結局ポーランドで1ヶ月間プライベートな宿に滞在することになりました。その結果、日本に到着したときには83,000円しか持っていませんでした。 ――日本に来てからも大変だったんですね。 アニャさん 大学に入ったら支援金があるのですが、もらえるのは2ヶ月後だったので、本当に大変でしたね。 ――今後、日本でやりたいことがあったら教えて下さい。 アニャさん ウクライナ文化を日本に伝えたいです。ウクライナでは夏によく飲むクワスという発酵飲料があるのですが、そのクワスを日本で売って、その売上をウクライナのチャリティや、戦争で困ってる人に募金したい。子供の頃、夏にクワスを売るアルバイトをしたことがありました。コスプレイヤーとしては、オーダーメイドの衣装や武器を揃えてコスプレしたいですし、他のコスプレイヤーさんが出しているフォトブックも出したいなと思っています。
ひがけん